2009/12/20

懐かしい知人、そして演歌

以前勤務していた旭川時代に付き合いのできた人たちとの懇談会が19日夜にあり、出席する。

いずれも名物居酒屋「大舟」の故・馬場昭さんと交流があり、そのつながりの同窓会のようなものである。札幌組、旭川組、そのほか留萌や道南から来た人もいる。

一次会のあと、ススキノに流れたので、先ごろ20数年ぶりに新曲「夕映えの宿」を発表したばかりの演歌歌手、平山さゆりさんのご家族がやっているスナックにお邪魔する。「江差追分」を本場で特訓中の人がいるので、ぜひ引き合わせたいと思ったからである。

懐かしい知人、そして演歌

「夕映えの宿」は有線放送にかかり始めたそうで、カラオケにも加わるとのことで徐々に知られつつあるようだ。

プロの歌声を聞いたあとに、怖いもの知らずというのか、指導を受けて「夕映えの宿」を歌ってみる。まだまだであるが、うまくすればなんとかなりそうである。

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2009/12/18

忘年会シーズン

忘年会シーズン
いろいろあったこの1年。それでも忘年会シーズンはやってくる。あれやこれや理由をつけて会合が開かれることになった。

17日は勤め先の忘年会。10人ちょっとのこぢんまりした人数で、韓国料理を楽しんだ。3時間飲み放題の韓餐コース。
忘年会シーズン

韓国料理と言えば、焼き肉とキムチ。予想に違わず辛味ベースの品々が続いた。うまいけれど、だんだん味が分からなくなる。焼き肉は苦手と幹事に伝えておいたら、海鮮チゲに変わっていたりしたのが、嬉しかった。

お酒はマッコリ。浮気はせずに、そればかりいただいた。全然、深酒感がなく、翌日すっきり目覚められたのがよかった。
ともかく、まだ飲め、食べられるのがうれしいことだ。

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2009/12/15

深浦康市王位の就位式

深浦康市王位の就位式

将棋の深浦康市王位の第50期王位就位式が12月14日正午から東京・日比谷公園の松本楼(カレーライスが有名)で開かれるので覗いてみる。

深浦康市王位の就位式

今年夏に戦われた王位戦七番勝負は挑戦者の木村一基八段がいきなりの3連勝でタイトルに王手をかけたが、第4局から深浦さんが逆襲に転じ、「まさか」の4連勝で、フルセット勝負でタイトル3連覇を果たした。

深浦康市王位の就位式

松本楼の就位式には日本将棋連盟の米長邦雄会長ら将棋関係者、主催紙の西日本、徳島、神戸、中日・東京、北海道の5新聞社の関係者らをはじめ来賓・ファンなどが約150人参加した。

深浦康市王位の就位式

深浦康市王位は「また、松本楼に来られるとは思いませんでした。第3局の神戸で負けて帰りの新幹線の中で迷いを吹っ切りました。第4局の佐世保での見えない力に助けられました。反省すべきことも多い一年間でしたが、来年はさらに頑張ります」と話していた。

深浦さんの応援に、サッカー協会名誉副会長の平田竹男さん、落語家の立川志遊さん、作家の団鬼六さんらも姿を見せた。志遊さんは「深浦康市王位とかけて」「信心深い関取と解く」「その心は」「さんぱいしてから勝ち名乗りを受けます」と謎解きをして乾杯されていた。

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2009/12/14

銀座を歩く

奈美を探して

東京の銀座と言えば日本の盛り場のチャンピオンである。

久しぶりに、昔勤務していた銀座界隈を彷徨してみた。

驚いたのは銀座7丁目のルイヴィトン辺りである。交詢社通りを挟んで向かい側の喫茶店のコージーコーナーがあった一帯は更地になっている。再開発が進むのだろうが、かつての情緒はない。新聞社の跡も今は本当にファッションビルになってしまった。夢の跡か。

奈美を探して

おでん屋はお多幸が休みでやす幸へ。昭和8年の開業とか。頑張っている。気分転換に銀座8丁目の河北新報裏通りに入ると、愛しのアイリーンは立ち退いて抜け殻だった。銀座にあって新宿の匂いのあった飲食店街は消えてしまった。残念である。並木通りに出ると、筋向かいの資生堂は微妙に華やかである。年の瀬というかクリスマスだからか。

奈美を探して

銀座がどうのこうの言える立場じゃないが、昔に比べてなんだか空気が下品になったように感じるのは気のせいか。「奈美を探して」という映画のタイトルがなぜだか頭をよぎる。ないものねだりか。

奈美を探して

最後に健全なバーのブリックでウイスキーの響の水割りを一杯飲む。普通にうまい。とりあえず、まだ飲めるだけしあわせである。

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2009/12/13

義理の妹が死去

義理の妹が死去
6年間、乳ガンと闘っていた義理の妹(妹と言っても私より年上なのだが)が12月13日午前6時、亡くなった。62歳であった。

寝起きに電話があり、驚いた。偶然、東京に美術展を見る用事を入れていたので、ひと仕事終わった後に横浜まで足を延ばす。穏やかな死に顔は肉体の苦痛から解き放れているようでもあり、いささか切ない。

病院でできることはやったので、あとは家族と最後の時間を過ごしてくださいと、退院したのが11月15日だったので、自宅で過ごせたのは1か月に少し足りなかった。

昨年、義母は87歳で亡くなっており、一度北海道に墓参りに行きたいと話していたが、かなわなかった。残念なことである。

身の回りは病気の人や高齢の人が増えた。みんな亡くなってくると、次は自分の番となるだろう。仏教の生老病死が重いことである。

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古代ローマ帝国の遺産展

古代ローマ帝国の遺産展
東京・上野の国立西洋美術館で9月から開かれている「古代ローマ帝国の遺産」展が12月13日で終わるというので、なんとか見に行く。

前夜の「原田康子さんをしのぶ会」では体調が悪いこともあって、二次会の誘いを丁重にお断りしたので、無事飛行機に乗ることができた。

ローマ帝国展は初代皇帝アウグストゥスにスポットを当て、帝都ローマと火山に埋もれたポンペイの2つ都市から発掘された富と文化遺産を多岐に渡って紹介している。

古代ローマ帝国の遺産展


ローマ文化といっても、エジプトやギリシャ文明の影響を受けている。文化とは伝承なのだとあらためて教えられる。

最終日とあって結構込んでおり、簡単に近づいて見られない出品もある。500円で音声ガイドの機械を借りたので、やや単調な展示も面白く見られた。入場料は1500円。

古代ローマ帝国の遺産展


建物の前にあるロダンの彫刻を見ると、西洋美術の力強さを見せつけられることだ。

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2009/12/12

新しい玩具

新しい玩具
我が家のテレビはボロく小さなアナログである。宇宙人の鳩山さんちも、まだ地デジの準備はできてないそうだが、きっとレベルが違うのだろうなあ。

なんとか新しいテレビを買えそうになったので、札幌駅裏の量販店に朝一番に出かけていった。

ところが、値段的に今いちのうえ、即日配達は夕方以降になるというので今日は見送りとした。

やむなくついでに、玩具売り場に寄ったら、ニンテンドーのDSiLLが売っていたので思わず衝動買いしてしまった。

新しい玩具


画面が4インチと大きく、ブラウザーも搭載されており、インターネットも無線ランで簡単に接続できる。ソフトもいくつか最初からインストールされているし、ダウンロードも可能だそうだ。

いわば、ネットブック化したゲーム機である。結構、遊べそうである。

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原田康子さんをしのぶ会

原田康子さんをしのぶ会
10月20日に81歳で亡くなった作家の原田康子さんをしのぶ会が12月12日夜、札幌市中央区のホテルで開かれた。

親しかった作家の加藤幸子さんをはじめ、編集者、新聞記者、文学仲間、ゆかりの釧路の親族、関係者ら約60人が参加した。

献杯の挨拶をした加藤幸子さんは「最後まで新しい作品の話をされていました。美しい目が印象的でした」と話した。

原田康子さんをしのぶ会


会場では、原田康子さんの映像も流され、在りし日の童女のような姿を参加者は懐かしんでいた。

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2009/12/08

平山さゆり新曲発表祝賀会

平山さゆり新曲発表祝賀会
演歌歌手の平山さゆりさんの新曲発表祝賀会が12月8日夜、札幌市中央区のホテルで開かれた。

平山さゆりさんは江差追分の名手、故浜谷仁朗さんの娘さんで、かつては島純子の名前で歌っていた。


平山さゆり新曲発表祝賀会

それが、父親の死に合わせるかのように、一念発起、22年ぶりに芸名を平山さゆりと変えて新曲を発表、再デビューとなった。


平山さゆり新曲発表祝賀会

新曲は「夕映えの宿」。歌いやすく、なかなか心地よい演歌である。再デビュー応援の会には200人近くが集まって、にぎやかであった。

遅い再デビューであるが、応援の人の温かさに支えられて、今後の大活躍を期待したい。

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「まるやまいちば」閉鎖へ

7日の北海道新聞夕刊によれば、「札幌の老舗小売市場『まるやまいちば』(札幌市中央区大通西24、37店舗)が来年3月末で閉鎖することが決まった。近隣地へのスーパーや大型商業施設の開店で客が減少したことや、各店主の高齢化が理由」とのことだ。

僕は1971年ころ、円山市場にあった青果店でしばらく働いていたことがある。入り口の前にあったその店は大繁盛店だった。朝、市場からネットに入ったタマネギが入荷すると、いっせいに並べる作業は力仕事だった。長芋が渋くないかどうか、カボチャが熟れているかどうか、不審がるお客の前で、スパッと切ったり、割ってみせる大道芸も身につけたものだ。

従業員は年配の人が多かったが、娘婿が僕と同世代だったり、教師志望の青年もいて、なかなか楽しかった。そのころ、近くにはちっぽけなパチンコ屋や2番館となる円山映劇という映画館もあって、にぎやかな下町だった。そう言えば、円山公園前からは三越前行きの路面電車も走っていた。

円山には1年半くらいしか暮らさなかったが、庶民的な街だった。いつのまにか少し上昇志向が強くなり、そんなところが、大型店などの攻勢に苦労した原因かもしれない。

1893年ころに市場ができたそうで、100年を超える歴史を持つ。庶民の市場としては、よくやったほうじゃないか。

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