« ■道立文学館で文芸対談「『銀河鉄道の夜』をめぐって」 | トップページ | 苫小牧で第24期女流王位戦第2局、里見香奈VS甲斐智美激突 »

2013/05/08

元旭川市長、五十嵐広三さん逝く

元旭川市長で衆議院議員-村山富市内閣の官房長官を務めた五十嵐広三さんが2013年5月7日、入院先の札幌市内の病院で急性呼吸不全のため亡くなった。87歳だった。

Photo

元秘書の方から「五十嵐先生は札幌で入院中ですが、あまり具合は良くなくって」という話を少し前に聞いていたので、やっぱりそうだったか、と思う反面、あらためて戦後民主主義の大きな担い手が亡くなったことを感じた。

五十嵐さんが旭川で多くの足跡を残したことは知られている。旭川商業出身で、実業の世界に入りながら芸術家としても活動、時代の流れによって社会党に入り、37歳で旭川市長に当選する。市長時代の業績は旭山動物園の開園、駅前の師団通りといわれた商店街を歩行者天国の「平和通買物公園」にしたこと、さらに旭川医大の誘致などが挙げられる。忘れていけないのは、ゆかりの彫刻家・中原悌二郎を記念して全国的な美術賞を生んだことである。

北海道知事選に2たび敗れた後は、衆議院議員となり、政界再編の中で、細川護煕内閣の建設相、村山富市内閣の官房長官となり、頂点を極めた。その間に、阪神大震災、オウム真理教事件などがあり、一国民の目から言えば、よくやった部分と物足りないと思うところはあった。

個人的に、五十嵐さんに会ったのは、私が編集・執筆した「馬場昭追悼集 三・六街大舟あり」の取材の時である。経営している札幌の会社を訪ねた。今から4年ほど前のことである。三・六街で居酒屋「大舟」を営んでいた馬場昭さんは、ほんとうに名物店主であったが、五十嵐さんが官房長官時代、首相官邸に毛ガニ料理を差し入れしたのは有名な話である。五十嵐さんと馬場さんは政治家-支持者を超えて、友人の関係であったから、追悼集の序文をお願いしたのである。もちろんすぐに快諾いただき、まもなく玉稿が送られてきた。(写真は訪問時に撮影したものである)

Photo_2

思い出話の最後はこう結ばれている。
「馬場君は私より一まわりも若いのだから先に逝かれたのが口惜しい。いくら本郷新さんがデザインの立派な墓を造ってあったと言っても早すぎる。あの世でも木内綾さんや三浦綾子さんに叱られているだろう。/もっとも、松井恒幸君はようやく来てくれたかと早速二人で焼酎を飲み交わしているに違いない」

2008年11月3日に馬場さんは亡くなり、それから4年が過ぎ、2013年5月7日に五十嵐さんが亡くなった。この世は寂しくなるが、天界はにぎやかになるだろう。

取材の帰り道、先輩曰く、「五十嵐さんのところには戦後の芸術運動や社会運動の資料が山ほどある。それを生かさないとならないんだが」。それはどうなっているのだろうか。五十嵐さんの業績を整理するのも後世代の務めであろう。

謹んでご冥福をお祈りする。

|
|

« ■道立文学館で文芸対談「『銀河鉄道の夜』をめぐって」 | トップページ | 苫小牧で第24期女流王位戦第2局、里見香奈VS甲斐智美激突 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87302/57336599

この記事へのトラックバック一覧です: 元旭川市長、五十嵐広三さん逝く:

« ■道立文学館で文芸対談「『銀河鉄道の夜』をめぐって」 | トップページ | 苫小牧で第24期女流王位戦第2局、里見香奈VS甲斐智美激突 »