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2012/05/14

没後百年・啄木「ふるさと」論の新しさ 

JR旭川駅の中にある旭川観光物産情報センターに石川啄木の歌碑がお目見えしたそうだ。彼は釧路への旅の途次、わずか4首しか旭川の短歌は詠んでいない。たとえば

名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
宿屋安けし
我が家のごと

というものだ。ここでは歌の出来については論評しない。

P5050290

閑話休題。
以前、私は旭川と啄木に関する原稿を新年用に書いているので、この機会にブログにあげておきたい。


石川啄木は二〇一二年が没後百年に当たる。明治四十五年四月十三日に二十六歳で亡くなった後に出された第二歌集「悲しき玩具」も刊行百年となる。
啄木は「悲しき玩具」の中にいくつか新春の歌を詠んでいる。(原文の三行分かち書きを一行で表記する)
何となく、/今年はよい事あるごとし。/元日の朝、晴れて風無し。
いつの年も/似たよな歌を二つ三つ/年賀の文に書いてよこす友。
正月の四日になりて/あの人の/年に一度の葉書も来にけり。
いつしかに正月も過ぎて、/わが生活が/またもとの道にはまり来れり。
啄木はロマンチストであり、実際、感傷的な短歌(たとえば「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」)を多く詠んでいるが、その一方、ジャーナリスト(新聞記者)であり、身辺雑事から国家の行く末まで極めて冷静な観察者としての顔を持っている。
「今年こそは」と決意を新たにしても、三日も経たぬ間にマンネリに陥ってしまうのは凡人の常である。
その啄木は文明批評家でもあり、都市論も多く書いている。名高いところでは「札幌は大いなる田舎」「札幌は既成品、小樽は未成品」論。開拓使による官製の都市である札幌と、港湾都市としてエネルギッシュに発展している当時の小樽を比較した。実業的な小樽の人々に驚き「歌わざる小樽人」の歌になるのである。
旭川についてはどうか。ご存じの人も多いだろうが、啄木は「旭川は札幌の小さいのだ」と聞かされ、「なるほど、街の様子が甚だ札幌に似ていて、曲がった道は一本もなく(中略)気持ちいい」と記している。そして「旭川は数年にしてきっと札幌を凌駕するようになるよ」と浴場で威勢のいい言葉を吐く人と出会う。
旭川の未来を啄木がどう思ったかは定かではない。だが、旭川は故郷・盛岡(渋民村)に似ていると感じたのではないか、というのが私の考えだ。毎日、岩手山を眺め北上川の流れる盆地に育った啄木は、大雪の山々を望み石狩川の流れる盆地の街に親近感を覚えたはずだ。
「ふるさと」は啄木の最大のテーマだった。遠方から盛岡を眺め、マチに元気がないのは「微温的気質」に原因があり、活力は「内的衝動と外的刺激とに(よって)醸成」されると指摘している。情熱と感受性を―、という痛言は盛岡だけにとどまるものではないだろう。

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