« 札幌・大通公園スナップ | トップページ | 「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」を見る »

2011/08/13

宮崎吾朗監督のアニメ「コクリコ坂から」を見る

宮崎吾朗監督。宮崎駿企画・脚本。丹羽圭子脚本。高橋千鶴&佐山哲郎原作。声・長澤まさみ(小松崎海)。岡田准一(風間俊)。竹下景子(小松崎花)。石田ゆり子(北見北斗)。風吹ジュン(小松崎良子)。内藤剛志(小野寺善雄)。風間俊介(水沼史郎)。大森南朋(風間)。香川照之(徳丸社長)。

翌年に東京オリンピックを控えた、1963年の横浜。古いものを壊し、どんどん新しいものを作っていこうとする気運のなかで、横浜のとある高校でも老朽化した文化部部室の建物「カルチェラタン」の取り壊し計画が持ち上がる。そんな騒動の中、学生たちを率い、部室棟を守ろうとする少年・俊と、高校に通いながら下宿宿を切り盛りする働き者の少女・海が出会う。二人は順調に距離を縮めていくが、ある日を境に、急に俊がよそよそしくなって…?
(goo映画より)

P8130172


体が弱ってから、長時間、集中して座っているのが嫌で、ずっと映画を見ていなかった。でも、少し落ち着いたことで、短編ということで、ジブリを見た。狸小路の東宝プラザ、閉館カウントダウンである。ご苦労様でした。

この作品はほとんど宮崎駿の世界とは思えない。中途半端なのだ。たぶん、監督の宮崎吾朗という人の弱いセンスなのだと思うのだが、でも、脚本は宮崎駿とあるから、微妙である。もっと長い物語にするか、もっと広げたエピソードを刈り込むか、どっちかにすべきだった。

青春映画である。ちょっと訳ありの出生物語。このあたりが少女漫画を原作としているらしいところだ。ノスタルジックに描かれる昭和30年代の日本。この辺もありがちだ。少年と少女の真剣勝負の「友情」。これは浜田光夫と吉永小百合だ。で、流れる歌は「上を向いて歩こう」。まさしく日活映画だ。1963年に18歳の少年少女は昭和20年の生まれとなる。まさしく吉永小百合と同じ世代だ。

宮崎駿は「上を向いて歩こう」が嫌いだった(私も同じだ)そうだから、本当はこの曲は入れないほうが良かっただろう。本当は登場人物にもっと深い陰影を与えるべきなのに、中途半端に暗く中途半端に明るくなった。

学生会館「カルチェラタン」をめぐる群像劇は文句なしに素晴らしい。バンカラ調のああいう青春世界がちょっと前まで(オンリーイエスタデーには)あったのだ。それを簡単に壊し、青春を奪ったのは、中教審路線ー産学協同路線、と学生たちに批判された高度成長政策の中で生まれた功利主義的教育である。今になってわかるのであるが。

だが、主人公たちは高校2、3年生である。学生会館の雰囲気はどう見ても、大学の教養部の世界である。食堂も「学生食堂」なんかとでているが、高校で学生はないだろう。カルチェラタンの住人たちは会館取り壊しに対して闘い、「全学討論集会」を開くが、このあたりは高校生のようでもあり、大学生のようでもある。高校で全学とは言わないと思うが、大衆団交路線のはしりか。

この物語にはなぞが多い。まず、主人公の海の父親は朝鮮戦争で、乗っていた船が機雷に触れて事故死している。ということは、海上保安庁か、その関連の仕事をして、米国-日本の政治意志の元で、「国連軍」の作戦下で、ひそかに戦争に参加していた可能性が強い。日本の艦船が被災した例として、「1951年11月15日、元山沖で大型曳船LT636号が触雷して沈没し日本人船員22名が死亡した」という事件があり、それだとすれば、海は5歳で父親を失っていることになる。父親はおそらく戦争をずっと引きずって生きていた。そんな危険な任務にある父親と母の駆け落ち-終戦前後-というのもなんだか落ち着きが悪いのだ。友情に厚い3人の船乗りたちも、どうも普通の関係じゃないように思えるのだ。(特務機関というわけじゃないが)

学校の理事長の徳丸さんはなぜか、海の父親の朝鮮戦争での死に同情の念を禁じないでいる。彼はどういう立ち位置なのかよくわからない。モデルはジブリの生みの親とも言うべき徳間書店の創業者の徳間康快氏か。机の奥の棚に「情況への発言」が置いてあるのはご愛敬か。もっとも、吉本隆明の徳間版の「情況への発言」は1968年(昭和43年)刊行であるから、昭和38年にはまだ影も形もない。学校といえば、徳間氏は後に実際に逗子の高校の理事長をしているようだが、やはり時代が少し合わないのと、いささか立派な大人すぎる描き方が楽屋落ちすぎて、あまり笑えない。

いずれにしろ、出生の秘密が、結構重いテーマなのだが、肝心のところが、曖昧というかズタボロに思える。宮崎吾朗監督はもう少し、自分の父親たちの生きた時代をがっちりと掴み直さないとだめだろう。

いろいろ文句を言っているが、決してつまらない作品ではない。むしろ、ロリコン趣味がない部分が自分には好きである。「カルチェラタン」は最高にいい。宮沢賢治の詩「生徒諸君に寄せる」の朗読もいい。熱い議論。そして、あまり魅力的ではなく、ぎこちない主人公の2人がいい。そのぎこちなさ、ひたむきさを私たちはもっともっと大切にすべきだったと今になって知るのである。

|
|

« 札幌・大通公園スナップ | トップページ | 「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」を見る »

コメント

初めまして
「コクリコ坂から」は久しぶりに複数回鑑賞となる作品で、いろいろ批評をWeb上で読んでいます。複数といってもまだ二回で、近々3回目を見ようとしています。
さて、ほとんどの評論の中ではLT636号のことに言及されていて、私は全くそこに想いが至らないので、よくそこまで注意が及ぶものだなと感嘆しています。ネット住人には所謂軍事オタクとまではいえないまでも、戦争、兵器関係に詳しい人たちが多そうだとは感じています。

私は人間関係と申しますか、親戚、血縁関係、家系といったものが苦手で、なかなか覚えられません。ですから、この物語の人間関係の乱麻が解きほぐされていく過程は明瞭に頭脳には展開図が描かれません。
しかしながら、物語の転回点では突如目頭が熱くなったり身体が震えてしまいます。

カルチェラタン、いいですね。
確かにあの雰囲気は大学のような感じがしますが、私が高校入学した当時の高校上級生たちはずいぶん大人びて、旧制中学ではあのとおりだったのではないかと想像しますし、そうであって欲しいと思います。
私立のエリート校
微妙に反発を感じて批判的になっているのじゃないだろうかと思われる文章がある。
いや、批判的な文章を読むと、根底にその反発が潜んでいるのではないかと勘ぐったりしています^^;

見る前に原作はどのようなものかと検索しました。
表紙の絵を見て、これでは私は絶対に見に行かないだろうと思いました。映画の海だったからこそ見に行く気になったのですけどね。
それから、主題歌の「さよならの夏」再発見が収穫だと思いました。

投稿: 成層圏 | 2011/08/27 10:52

成層圏 さま
ご丁寧な書き込みありがとうございます。そちらのブログも拝読しましたが、ずいぶん多角的に「コクリコ坂から」について言及されていて感心しました。
映画は観客が自由に論じる権利を持っていると思っています。軍事や海事や歴史に詳しい人はそこから切り込めばいいし、音楽や恋愛や風俗に詳しい人も同様です。
「コクリコ坂から」は物足りないところがいっぱいありますが、でも観客に何かを言いたくさせる魅力を持っている作品だと思いました。


投稿: 席亭うど | 2011/08/27 23:08

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87302/52467555

この記事へのトラックバック一覧です: 宮崎吾朗監督のアニメ「コクリコ坂から」を見る:

« 札幌・大通公園スナップ | トップページ | 「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」を見る »