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iPad2を入手する

いよいよ連休モードである。特に大きな旅行も予定もないことであるし、本でも読んで勉強しようと思っていた。

そんな折、震災で遅れていたAppleのiPad2が28日から売り出されたので、早速行って月賦で買ってしまった。一番容量が小さくwifi仕様のものであるが、アップルストアですぐ手に入ったのだ。

Ipad2


寝ないでいろいろと設定をして、どうにかそれなりのユティリティパソコンとして使えるようになった。

iPhoneに比べると、相当使いやすい。そりゃ〜、大きいのだから当然か。Windowsパソコンのように仕事に使えるかは疑問であるが、とりあえず、ワープロのようなエディタソフトを落として環境だけは整えたところだ。

Ipad22

使ってみての印象だが、軽いこと、薄いこと、描画がスムーズで気持ちがいいこと、バッテリーの持ちがすこぶる長いことと充電をするときに大きくてわずらわしい電源アダプタが必要ないことは爽快だ。そんなことを感じた。

だが、冷静になって考えると、意外に使い道がない。ゲームにしろ、ビデオにしろ、音楽にしろ、とりあえずはiPad2で遊ぶことはできるが、本当にそれで満足するのかどうか。たぶん「携帯端末」としては極めて便利だなあ、というところか。

また、ウェブを見るとなると、パソコンと同じで、iphone(スマートフォン)で見るためにカスタマイズされたアプリソフトの優越性はほとんどなくなる。当然、ワードや一太郎やらのワープロソフトはもちろん、もろもろの蓄積データをうまくは転用できない(というより手間がかかるし、想定されていない)。

結局はボヘミアン系のツールということか。それでも、持っていると、楽しくなる。まだ使っていないが、テレビ電話機能も面白そうだ。この、ある種の誇らしさがこの製品の魅力かもしれない。

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将棋の第22期女流王位戦始まる

第22期女流王位戦5番勝負第1局が4月27日午前9時から札幌市中央区の京王プラザホテル札幌で開幕した。

昨年初めて女流王位を獲得した甲斐智美2冠(27)に対して、19期連続で番勝負を続けている清水市代女流六段(42)という顔合わせ。

Jyoryuu


大震災後、将棋界もいくつかのイベントが中止になったということで影響もあったというが、熱戦を見せることで全国のファンを楽しませることができる。それだけに、女流将棋のメーンイベントが無事開催できて関係者の喜びも大きい。

振り駒で先手となった清水女流六段が初手を7六歩と指し、甲斐女流王位が2四歩と応じ熱戦が始まった。


女流王位戦第一局は午後7時28分に後手番の甲斐女流王位が142手で初戦を制した。

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心して言っておかねばならないことども

東日本大震災と福島の原発事故が起きてから、この国の主要な言語空間と公益の映像宣伝は、非常時には与野党を超えて一致団結し日本の底力を今こそ発揮しようなどと国民を誘導しようとしているように思える。多くの考え方の人間のいたこの国はついに一枚岩の団結を寿ぐようになった。

さらには、政治の空白は多大な損害を与えるとして、この菅直人首相の愚政を批判するのを控えよ、悪政内閣の打倒を叫ぶなどもってのほか、とも言っている。

なるほど先の戦争で、大政翼賛会の旗振りをしていた連中がどんな精神状況だったか、分かろうというものだ。

一方で権力と組織からパージしておきながら小沢一郎はなにをしているのかと無いものねだりをする。いわばなにをしてもしなくても悪役は悪役、非国民にされるのだ。

だが、どんな場合でも思想と良心と表現の自由は第一に守られるべきものであると、戦後世代の全体重をかけて私は考える。批判の自由がなく、誤った権力の方向性を正せないなら、戦後憲法の精神は何処へ消えたのだろうか。

戦争や災害にはやされる「非常時」に踊らされ、民衆は屈従を強いられ、権力が横暴を繰り返したのが、世界史の真実ではないのか。被災地における私権の一時的制限を無原則に拡大すべきではない。

政治に空白ができるのを恐れている社会に革命など想像もできないことだろう。だが、今日の高度な社会組織の成熟と高い生産諸力は遅れた政治を一定程度カバーできるからこそ、まったく間違いだらけの政治方針でも、なんとかやってこれているのを現実に私たちは見ているのではないのか。

そんな激しいことを言う気はない。ただ、きちんとした批判を封殺するようでは裏声のはびこる人間不信の戦時中と同じ歪な社会の暗黒に堕ちていくだけではないだろうか。と憂えるのだ。

私は国民の政治にかける思いを予め奪う、翼賛言語によるその閉塞状況を真面目に困ったことだと思っている。

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さよならの季節-恋のリズム 人魚の嘆き

どうも春はお別れの季節ということなのか。最近はあまり訪れてはいないが、ずいぶんお世話になった飲食店から店じまいの連絡が届いている。

1つは札幌のススキノにあるスナックで「Reve Bar Coi-Lis」というお店だ。私が一種の「監獄労働」をしていた時代に通い始めた。当時は「恋のリズム」という名前で、新宿通りにあった。ママはノリコさんと言い、札幌で一番の美人だった。なにしろ復活した花魁道中の花魁をずっと務めたほどだ。当然、性格はきつい。私のようなチンピラ飲んべえには若干、敷居が高かった。

それでも夜中の1時とか2時に仕事が終わると、2時間程度止まり木にぶら下がった。日によって朝までいたこともあるが、そんな時間でも客は絶えなかった。とにかく、美人ママに若い女の子もおり、にぎやかだった。ススキノの勢いがそのままあふれていた。本当にいい店だった。

私はその後、あちこちに転勤し、また、だんだんお酒を飲めない体になったり、家族に不幸が相次いだりして、ススキノにはほとんどいかなくなった。「リズム」は南4条2丁目に移ったり、南3条に移ったりして、ますます足が遠のいてしまった。

数日前にいただいたはがきには「3月3日で25周年を迎えることができました」という書き出しであるが、「長年にわたる景気低迷に続く、震災の栄光で閉店することを決意しました」とある。25周年のお知らせが閉店のお知らせでもあったのだ。ほとんど力になっていないので、かけられる言葉もない。

4月30日まで最後のイベントをして閉店となるとのこと。なんとか行きたいと思っているのだが。

Rizumu3

もう一つは、東京・神田神保町の会員制酒肆「人魚の嘆き」である。ぐだぐだ述べるのは控えるが、先ごろ、大きなお祝いの会を開いたばかりであるが、物件の契約の関係か何かで、閉店することになったらしい。「愛人やめます」という案内によると、こちらは4月28日でおしまいとのこと。

彩子ママは星雲状態になっていた神田神保町の本屋さんと出版屋さんと物書き屋さんとを女の細腕で、ぐぐいっとまとめて新しい活字サロンを作り上げた才女である。東京なので、とても行けそうにはない。本当になんだか、とっても惜しい。

でも、きっと新しい舞台で活躍してくれるだろうと思う。別れは新たな旅立ちであるだろうから。

Aijin2


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「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 黄金のスパイ大作戦」を見る

増井壮一監督。こぐれ京脚本。臼井儀人原作。声:矢島晶子(しんのすけ)。ならはしみき(みさえ)。藤原啓治 (ひろし)。こおろぎさとみ(ひまわり)。

本作で19作目となる映画「クレヨンしんちゃん」は、シリーズ初の本格スパイアクション。7歳にして一流スパイのレモンが相棒に選んだのは、おなじみの嵐を呼ぶ園児・野原しんのすけ(5歳)。家族もろともレモンの母国へ連れ去られてしまうが、しんのすけは秘密のスパイアイテムを駆使し、変装にスカイダイビングに大活躍!危険度もおバカ度もマックスのGW映画。たくみなウソで野原家の人々を操り、実戦でも向かうところ敵なしのレモンが、子どもらしさのカタマリのしんちゃんや、一家の絆に触れて、少しずつ変化していくところも見どころ。また関ジャニ∞から特別出演した村上信五&大倉忠義にも注目。アイドルなのに、まさかのおマヌケキャラに挑戦しちゃうあたり、さすがジャニーズのお笑い担当。しんちゃんとの軽妙な掛け合いも楽しめる。(goo映画より)

Kureyon


クレヨンしんちゃん。人生の大きな楽しみとして、ずっと見続けてきたのだが、今回はどうも今ひとつでありました。トム・クルーズの「ミッション:インポッシブル」へのオマージュはあれども、しんちゃんが持ってきた強烈な主体主義の魅力はずいぶん失せてしまった。確かに、本作でもアクション仮面を信じる少年の純情さが貫かれているのだけれど、そのラジカルさへの対抗軸がいささか弱い。

おバカなのはおきまりであるけれど、今回は痛い。なにしろスカシペスタン共和国の支配者ナーラオとヨースル、ヘーデルナ王国のヘガデル博士の発明したメガヘガデルⅡというのはどんなもんだろう。そして、おならミサイルで世界を征服しようといううさん臭さ。ガス大爆発ネタでは、いささか泣けてきました。

Kureyon2

臼井儀人先生も亡くなってしまったし、スタッフもどんどん変わっているようだし。いつも、しんちゃんを上映していたススキノの東宝公楽は閉館してしまい、シネコンに行かなきゃ見られなくなってしまったし、グッズで楽しみにしているキーホルダーも今回は見当たらなかったし、とっても残念であった。

ここ2年ほどの映画「クレヨンしんちゃん」の感想

劇場版「クレヨンしんちゃん オタケベ!カスカベ野生王国」。
http://takaoudo.cocolog-nifty.com/takaoudoism/2009/04/post-101d.html

「映画クレヨンしんちゃん超時空!嵐を呼ぶオラの花嫁」
http://takaoudo.cocolog-nifty.com/takaoudoism/2010/04/post-fa88.html

臼井先生を悼む
http://takaoudo.cocolog-nifty.com/takaoudoism/2009/09/post-2483.html

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海棠尊著「モルフェウスの領域」(角川書店、1575円)を読む

日比野涼子は桜宮市にある未来医学探究センターで働いている。東城大学医学部から委託された資料整理の傍ら、世界初の「コールドスリープ」技術により人工的な眠りについた少年・佐々木アツシの生命維持を担当していた。アツシは網膜芽腫が再発し両眼失明の危機にあったが、特効薬の認可を待つために五年間の<凍眠>を選んだのだ。だが少年が目覚める際に重大な問題が立ちはだかることに気づいた涼子は、彼を守るための戦いを開始する??。

海棠尊(かいどう・たける)  1961年、千葉県生まれ。2006年、『チーム・バチスタの栄光』で 第4回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー。 同作は08年映画・ドラマ化され、計300万部を超える大ヒットを記録する。 著書に『ナイチンゲールの沈黙』『螺鈿迷宮』『ジェネラル・ルージュの凱旋』 『極北クレイマー』など多数。 08年『死因不明社会』で科学ジャーナリスト賞受賞。(角川書店HPより)

Kaido


モルフェウスとは眠りを司る神だとか。物語には日比野涼子、佐々木アツシの2人の主人公のほか、コールドスリープ装置を開発した黒服の自称不眠症男、西野昌孝、コールドスリープ法の元となった「凍眠八則」を唱えたマサチューセッツ工科大学教授、曾根崎伸一郎、そして東城大学医学部付属病院の高階権太院長、如月翔子看護婦長、不定愁訴外来の田口公平医師らユニークな、あるいはおなじみのキャラクターが登場する。

最新医学(未来医学?)をネタにさまざまな問題を提起しているのだが、テーマは「愛」かな。本作では、日比野涼子が佐々木アツシを見守っていたのだが、次の物語ではアツシと涼子の立場が逆転していく。そして、5年間の「凍眠」から冷めた「天才」少年-しかし、彼は多くのハンディを背負っている-が、どんなふうに育っていくのか。相互補完された主人公たちの物語からますます目が離せなくなりそうなことである。


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東川篤哉著「放課後はミステリーとともに」(実業之日本社、1,575円)

鯉ケ窪学園高校探偵部副部長・霧ヶ峰涼の周辺には、なぜか事件が多い。校舎から消えた泥棒、クラスメ-トと毒入り珈琲一族との関わり、校外学習のUFO騒動――解決へ意気込む涼だが、ギャグが冴えるばかりで推理は発展途上。名推理を披露するのは探偵部副部長なのかそれとも? ユーモア学園推理の結末は?(実業之日本社HPより)

Houkago


「謎解きはディナーのあとで」大ヒットに続き、本作は発売1カ月で20万部! とある。なんだか、凄い。なんか上昇気流に乗っちゃうと、止まらないんだね。エンターテイメントの世界は売れなきゃダメなのだな。明快。

そうか、本作も活字コミックじゃね。主人公の名前も漫画だし、しかも「僕」なのに美人の女子高生。名探偵のつもりなんだが、「屈辱」の多いドジっ子という愛されキャラ。タレントも在籍する学園ではゆる~い事件が次々起きるのだけど、ハードボイルドというよりもハーフボイルドだどぉ、みたいなドタバタも半分のアクション・コメディー。

「謎解き~」のほうが、執事・影山vs宝生麗子という明快なSM対決であったのに対して、「放課後~」はいささか紛れており緩い部分に難ありか。登場人物の名前も私鉄沿線コンビやらが出てくるが、やっぱり安易というか悪のり気味。

ふだんはマイナー系の本しか読んでいないのに、いきなりメガヒット本を2冊も続けて読んでしまった。文章の中に若干嫌みが入っているのをお許しいただきたいが、私は大衆路線主義者である。売れる本にはそれなりの根拠がある。そして、売れるということの中には、多くの読書家の心を掴む読書の神のきらめきが潜んでいることは間違いない。

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東川篤哉著「謎解きはディナーのあとで」(小学館、1575円)を読む

執事とお嬢様刑事が、6つの事件を名推理!
ミステリ界に新たなヒーロー誕生! 主人公は、国立署の新米警部である宝生麗
子ですが、彼女と事件の話をするうちに真犯人を特定するのは、なんと 日本
初!?の安楽椅子探偵、執事の影山です。
 彼は、いくつもの企業を擁する世界的に有名な「宝生グループ」、宝生家のお
嬢様麗子のお抱え運転手です。本当は、プロの探偵か野球選手になりた かった
という影山は、謎を解明しない麗子に時に容赦ない暴言を吐きながら、事件の核
心に迫っていきます。
 本格ものの謎解きを満喫でき、ユーモアたっぷりのふたりの掛け合いが楽しい
連作ミステリです。(小学館HPより)

Nazotoki


2011年の「本屋大賞」の受賞作である。なにしろ売れて売れての大ヒット。札幌のジュンク堂には50万台、60万台に続いて82万部突破のオビ付き本が並んでいる。この分では百万部も軽々突破だろう。

内容は面白い。
まず、水戸黄門じゃないがワンパターンの展開である。事件が起こる、風祭警部がドンキホーテさながらに大騒ぎする。それをお嬢様刑事・宝生麗子が風祭を馬鹿にしつつ推理する。しかし、謎は解けない。そこで、執事の影山が登場する。「失礼ながらお嬢様--この程度の真相がお判りならないとは、お嬢様はアホでいらっしゃいますか」とか「失礼ながら、お嬢様の目は節穴でございますか?」とか傍若無人の啖呵を切ってあっという間に「天地明察」(あっと、これは前回の本屋大賞でしたね)してしまう。いわば、この馬鹿、アホ、名探偵のの3人だけがレギュラーメンバー。これに毎回、ゲストが絡んで事件が起きる。

この単純さが明快である。そしてとりあえず、ミステリーだ。執事・影山がすべての材料が公開されている場所で(ヨーイドンの場所で)推理を組み立てる。これが、それなりに「なーるほど」と感心させられるという具合だ。しかも、一話が短編なので読むのがしんどくないというか、すぐ読めちゃうのだな。これは気持ちのいい読書体験となる。読んでいるうちに、もう1編も読もうかという誘因力があるので、それは空気感染してしまう。そりゃあ、売れるわ。そのうち、テレビドラマでシリーズ化もできそうで、キャストを考える楽しみまである。

めでたし。めでたし。でもね。あたしゃ、物足りないですよ。名家のお嬢様とお坊ちゃまの警察官が国立にいて、執事が事件を解決するなんて。やっぱ、文学と言うより文字で書いたコミックでしょ。でも、面白いから、困るなあ。


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「月鞠(げっきゅう)」第10号を読む

東京・三鷹にお住まいの歌人、辰巳泰子さんから届いた「月鞠」第10号(2011年4月10日発行、1000円)を読む。

辰巳泰子さんについては、公式ホームページ「眠れない夜を越えて」http://www.geocities.jp/tatumilive/index.html
をご覧頂けばわけるが、略歴に

辰巳泰子(タツミ ヤスコ) 歌人。1966年大阪府生まれ。1990年、第一歌集『紅い花』 (砂子屋書房)で、歌壇の芥川賞といわれる現代歌人協会賞(第34回)を最年少受賞。その作品は高校教科書の継続教材ともなる。現代歌人協会会員、日本文藝家協会会員。短歌結社誌「月鞠」主宰。

とあるように、ある種のオーラをお持ちの歌人である。

Gekkyu

「月鞠」は年2回の発行で、第10号には佐藤元紀、窪田政男、真狩浪子、根本洋輝、西村修平、辰巳千枝子の各氏が原稿を寄せているが、中心はもちろん辰巳泰子主宰で小説「トムの日記」と短歌百首を寄せている。

真狩浪子さんは函館在住だそうで、「退屈で死んだやうなる春でしたはつなつ不意に電話鳴るまで」「ままごとの季節ひときは早く過ぎ真綿の締まる長き倦怠」「ただひとりのための歌です読まないと言ひ放ちたるひとりのための」など10首だが印象深い。

辰巳泰子さんの「近江行」百首から幾つかを引用する。

潮鳴りを怖れ少女は鎖しゐき携帯電話スコールのやう
それを言はなければいいのに言つてしまつてやはりさうきたかとなつちまふ僕
でもね、でもね、逆接の枕木なほ敷かれ一刻の嵐すぎるまで待つ
ことだまの拠り代として朝の日を浴びて尖れり携帯電話
その一花(いちげ)散らさず在れる形いづれ想ひ見よしんしん織り重ねよ
たくさんの葉書をくれて逝きにしよ万年筆の読めない文字
近寄せてさざ波立てりいつかは君と男なぎ女なぎのみづあかり見ん

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吉本隆明著「老いの幸福論」(青春出版社、840円)を読む

自らも超・老齢期のただ中にある著者が、「老い」や「死」、「家族」や「教育」の問題について縦横に語り尽くした、初の幸福論。不安や焦りを抱えた日々の生活の中で、今を幸せに生きるにはどうすればいいのか。衰えゆく身体とのつき合い方、老いてからの勉強法、死を迎える準備まで、生のさまざまな悩みに対して“思想界の巨人”が平明かつ率直な語り口で答えた一冊。

吉本隆明(よしもと・たかあき) 1924年東京生まれ。詩人・思想家・評論家。東京工業大学工学部を卒業後、工場に勤務しながら詩作や評論活動を続ける。日本の戦後思想に大きな影響を与え、文学や芸術だけでなく、政治、経済、宗教からサブカルチャーに至るまで、あらゆる事象を扱う「知」の巨人である。 (青春出版社HPより)

Oinokofukuron

本書は2001年に刊行された「幸福論」を新書版としてリニューアル出版したもの。いまや老いの語り部となった吉本さんの人生を考える1冊である。目次は以下のとおり。

1・こきざみの幸福に気づく -超・老齢化社会への心構え
2・知識より叡智が大事 -吉本隆明流・老年からの勉強法
3・家庭内離婚もいいかもしれない -変容しつづける家族を生きる
4・我が子の罪の償い方 -親の責任について考える
5・老親問題も育児問題も一緒 -制度としての介護、実感としての介護
6・ガタがきた体とつき合う -老齢期に入ってからの健康法
7・死を迎える心の準備なんてない -死を語ることの無駄について

吉本さんの本を永年読んできた者にはそんなに目新しいことはない。本書を最初に書いたころでさえ70歳を遠く過ぎ、87歳を迎えつつある吉本さんの「健在」を知る説話集というところである。死について、親鸞に託して吉本さんは言う。

「煩悩に満ちたこの世はふるさとと同じで、なかなか離れ難いところなんだ。安楽だという浄土でも行こうなんて思えないで、煩悩いっぱいのこの世がなごり惜しい。それは故郷に執着するのと同じようなものだ。人間というのは寿命がきて、ひとりでに死ぬというところになったら死ねばいいんだ」

子どもを殺されたらどうするか。親族から発せられる「極刑」論をどう考えるのか。吉本さんは明快だ。子どもを殺されたら、親としては仇を討つしかないではないか。そうせざるを得ないならそうすればいい。だけど、客観(法)に委ねたならば、それに従うしかないだろう。これもまた親鸞同様当たり前のようで深い。

往相から還相へ至る解体の論理が、「親鸞論」以降の吉本さんには貫かれている。この幸福論もまた当たり前のようでいて、還相論から照らし出された至言が随所に満ちていると言ってよいだろう。

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「黄金の都 シカン展」を見る

インカ帝国のルーツ、「黄金の都 シカン展」を札幌市中央区の道立近代美術館で見る。

シカンは南米ペルーの古代文化の1つである。北海岸・パンタグランテで考古学者の島田泉さん(南イリノイ大学教授)が1978年から調査を続けており、1991年からのロロ神殿の墳墓発掘が新たな地平を拓いている。そこにはインカとは別の文化が展開されていたのだ。シカンとは先住民の言葉で「月の神殿」の意味だそうで、その社会は9世紀から14世紀まで続いたと言うことで、日本に置き換えれば平安から鎌倉、室町時代に当たる。

Sikan_2


ロロ神殿の墳墓からは多数の黄金製品と墓の主たちの遺体が発掘されており、その展示ではその成果が並べられている。目を引くのは「シカン黄金製大仮面」「黄金の儀式用トゥミ(トゥミとは儀式用のナイフ)」や「ケロ」というコップのようなものなどで、いずれにしろ金製品の加工技術の高さがわかる。その他の金属加工品や装飾品もとても素晴らしい。

シカンの神はアーモンド・アイというつり上がった目が特徴だそうであるが、アジア密教系のある種の迫力に富んだ怒髪顔に比べると、妙な愛嬌があるように見えたのは気のせいか。

ペルーには先住民の多様な文化が花開いている。神殿の遺跡から発掘された多数の副葬品を見ていると、現代社会のある種の貧困を痛感してしまう。そして、埋葬された人々の表情(と言っても骸骨なのであるが)を見ていると、高度の文明社会といわれる現代に生きる人間よりも、穏やかに見えて、生きることの意味というよりその死生観を含め、私たちはとんでもない袋小路に紛れ込んでいると痛感させられるのであった。

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初日ということで、大混雑を予想していたが、意外に空いている。やはり震災の影響による自粛であろうか。

「黄金の都 シカン展」開催は4月16日から5月22日まで(毎週月曜日は休刊日)。開館時間は午前9時から午後5時まで。入場料は大人1200円。高校・大学生900円。小中学生500円。

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猪瀬直樹著「突破する力 希望は、つくるものである」(青春出版社、800円)

孤独を友として仕事と向き合った時間は、けっして自分を裏切らない。ギリギリまで自分を追い込めば仕事力が磨かれて、それが閉塞状況を打ち破る武器になる──道路公団民営化をはじめ、作家として、東京都の副知事として、さまざまな世間の“壁”を突き破ってきた著者が、自らの体験を踏まえて綴る、人生を面白くする本気の仕事&生き方論。

猪瀬直樹(いのせ・なおき) 作家。1946年、長野県生まれ。日本の近代を主軸に、数々の話題作を著し、87年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞、96年『日本国の研究』で文藝春秋読者賞をそれぞれ受賞。2002年、小泉政権下で、道路公団民営化推進委員を務め、道路公団の民営化を実現。06年10月、東京工業大学特任教授、07年6月には、東京都副知事に任命される。主な著書に『天皇の影法師』『昭和16年夏の敗戦』『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』『ジミーの誕生日』『東京の副知事になってみたら』など多数。 (青春出版社HPより)

Inose

いわゆる人生指南書である。目次には「壁を打ち破るには〝頭〝を使え」とか「自分の最大の武器は、弱点の中にある」「成果につながる努力、無駄に終わる努力」「10人の知人より、1人の信頼できる味方」「いくら稼いだかなんて、二流の発想」といった文字が並ぶ。

とにかく猪瀬さんらしい強気のスタイルで事態に立ち向かおうというエネルギーがあふれている。劣勢の中で活路を拓く教訓として、「『一点突破』と『1対1』。これこそが、まさに僕が実践で体得した『小が大に勝つ戦術』の要諦です」などと書かれており、なるほど世代的だなあ、などと思ったことでした。

いずれにしろ、「村上ファンドはウナギの水槽に入れたピラニアだ」という発想を含めて、猪瀬流のアクの強さ、押しの強さは自分には向いていないなあ、と思うところが多いのであるが、それでも先ほどの「一点突破」ではないが、局面局面で役に立つことは書かれている。とりわけ、現状に甘んじてはいられないと模索している場合には自分への投資の意味なども体験的に書かれていて得るところが多いのは間違いないだろう。

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梅原猛著「学ぶよろこび―創造と発見―」(朝日出版社、1,449円)

学問のおもしろさと創造の夢を語る待望のエッセイ集。

学ぶことのおもしろさと夢を実現する生き方、波乱万丈の半生、これから仕上げに入る壮大な夢の作品についてなど、梅原猛の創造の秘密をあますところなく語った知的人生論。
こころの傷は夢を実現する原動力になる!...
学ぶことのおもしろさと夢を実現する生き方、波乱万丈の半生、これから仕上げに入る壮大な夢の作品についてなど、梅原猛の創造の秘密をあますところなく語った知的人生論。
こころの傷は夢を実現する原動力になる! 法然からトヨタ創業者まで、各界の成功者の苦楽の道に自身の人生を重ねながら、学ぶよろこび―創造と発見の道を歩む生き方を提示する。向学心に燃える哲学者が教える、厳しい時代を生き抜くヒント。装幀・安野光雅。

梅原猛(うめはら・たけし) 哲学者。大正14年(1925年)、宮城県に生まれる。生まれてすぐに愛知県知多半島の内海の名士で、梅原一族の頭領である伯父夫婦の養子となり、京都大学入学まで海と山に囲まれて過ごす。哲学から仏教の研究に入り、その間に『隠された十字架』(1972年/毎日出版文化賞)、『水底の歌』(1973年/大佛次郎賞)を発表。その後、縄文・アイヌを研究。「梅原日本学」を確立。著作の多くは「梅原猛著作集」一期・二期各二十巻に収められる。現在、「梅原学」確立のため、中世の文学・芸能としての「能」の研究に入る。また劇作家としてスーパー歌舞伎、『ヤマトタケル』(1986年/大谷竹次郎賞)・『小栗判官』(1991年)・『オオクニヌシ』(1997年)を、狂言『ムツゴロウ』(2000年)、能『河勝』(2008年)等を発表。1992年、文化功労賞、1999年、文化勲章を受章。国際日本文化研究センター初代所長。近著に『うつぼ舟3 世阿弥の神秘』など。
(以上、朝日出版社HPより)

Umehara

さすがに梅原猛はすごい。

本書には3つの講演が収載されているが、とりわけ「創造への道」が素晴らしい。ニーチェの言葉を踏まえて、人間には「ラクダの時代」(忍耐期)「ライオンの時代」(勇気と闘争期)「小児の時代」(創造期)があることを述べ、自らの人生に重ねていく。そして、西田哲学の超克、ニヒリズム=死への誘惑から、生の哲学への転回、笑いの研究、日本文学・思想への独自の展開という歩みが生き生きと語られている。万葉集から古今和歌集の再発見、鎌倉仏教の根底にある密教への肉薄などもあらためて面白い。

最後に「老木(おいき)に花」の書き下ろしがあり、そこで、「85歳まで生かしてもらった私は今、新しい哲学を創造しようと思っている」と力強い決意表明がなされ、「完全な『柿本人麻呂論』を書かねばならない」「アイヌ文化と日本文化との関係を人類学的・民俗学的・言語学的に明らかにしなくてはならない」と述べ、「百歳を超えてからの仕事であろう」と言う。さらには、能-世阿弥論、親鸞論などにも言及しており、圧倒されるばかりである。

こうした梅原日本学についてご本人による完成はもちろんであるが、これらの課題は後世代に残されているのだなあ、と思わされることであった。

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札幌・創成川公園を散策

創成川公園は通勤路である。

札幌・創成川公園を散策


まあ、にぎやかというか、豪華な景観ではある。

札幌・創成川公園を散策
札幌・創成川公園を散策

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青山七恵著「わたしの彼氏」(講談社、1,680円)

恋は理不尽。恋は不条理。
鮎太朗(主人公)には気の毒だけど、美男な彼の女難は最高に面白くって、恋愛文学の“型破り”な傑作が生まれました。
大学2年の繊細美男子、鮎太朗。美人で怖い姉3人。女たちはみな彼に恋をする。けれどいつも鮎太朗が振られてしまう。何もしていないのに包丁で刺されたり、貢がされたりする。彼を慕い続ける可愛い同級生には、どうしても心が惹かれない――。
恋は理不尽。恋は不条理。
だけど、ひなたを走りたくなるくらいあったかい気持ちになるのは、何故なのだ?(講談社HPより)

Karesi

青山七恵著「お別れの音」(文藝春秋、1300円)

いつもと同じ日々の中、忘れたくない光がある
美しかったり、謎めいていたりする、私の隣の人々。芥川賞作家にして史上最年少の川端賞作家による「これぞ小説」な味わいの6篇

妊娠をきっかけに会社を辞めることになった、ほとんど口をきいたことのない同僚が最後の日に告げた言葉。会社の近くで働く靴職人の青年がなぜか気になってしまうわたしのとった行動。記憶にない男性からのメールがわたしの心に起こす小さな波。日常の中にあるさまざまな「お別れ」の瞬間を鮮やかに切り取った6篇。史上最年少の川端康成文学賞作家によるちょっとせつない世界をお楽しみください。(NK)(文藝春秋HPより)

Owakare


「わたしの彼氏」は長編、「お別れの音」は短編集。どちらも青山七恵さんはうまい。好みは別れるが、切り口と読後感の鮮やかさは「お別れの音」が数段上だろう。

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百聞は一見にしかず

いろいろ問題があることはわかっている。

それでも、99の誤りがあろうとも、1つの真実は否定できない、と言うではないか。すなわち、百聞は一見にしかず。そんな魂の叫びが聞こえるのが「副島隆彦(そえじまたかひこ)の学問道場」というブログの記事である。

だれも入っていない人類史上最悪の放射能汚染事故に迫りつつある福島原子力発電所の特攻ルポルタージュ。「そりゃあ、まずい」ということはものすごくいっぱいあるが、それでも、ここには1つの汚れのない魂と真実があると、震撼させられるのだ。

「副島隆彦(そえじまたかひこ)の学問道場 今日のぼやき 広報ページ」2011.4.11
http://www.snsi.jp/tops/kouhou/1492

・福島第一原発敷地の北、約2キロ地点から(1)。撮影時刻:2011/3/29,14:11。
http://snsi-j.jp/picture/img-box/img20110402220809.jpg


・福島第一原発、正門前。(1)
http://snsi-j.jp/picture/img-box/img20110401183221.jpg


「私は、この駅(=富岡駅)のそばの瓦礫の脇にいた、一匹の猫に餌をやって、もう一匹いたのだが、こっちは、近寄って来なかったので、餌だけおいて、そして、一匹の方だけを、連れてきた。今、私のPCの前で、邪魔をしながら、寝込んでいる。メス猫で、雉(きじ)と三毛(みけ)の雑種で、1歳ぐらいだろう。きっと飼い主は死んだだろう。私は、タマと名前を付けた。以後、この「富岡タマ」は、私が死ぬまで一緒に暮らすだろう。」

・富岡タマ。
http://snsi-j.jp/picture/img-box/img20110401195359.jpg

次のようなアジテーションがある。どう読むべきだろうか。

「頭がいいふりをして、いつまでも、なんがだ知らないが、遠くから、「まだ、安全ではない。体内被曝の怖さを知らないのだ。安全だと言っている人間たちは、責任を取れ」と言っている、人たちよ。自分の目と体で、現地を見に来なさい。それから、何か、専門家ぶった偉そうなことを言いなさい。」

「東京からさえ、関西に 逃げいている、大金持ちたちよ。もう大丈夫だから、帰って来なさい。皆さんが、臆病者だということはよく分かっています。赤坂や松濤(しょうとう)や田園調布の超高級の住宅街は、まだ、人影が無くてガランとしているそうだ。大金持ちたちも、戻って来なさい。私、副島隆彦が、大丈夫、というのだから、大丈夫です。」

ひりひりと間違いなく私の心を刺すものがある。私は賛同はできないが、批判もできない。そういう人間存在の全体重をかけた迫心の訴えはただ聞く以外にないのだと思う。他者批判の自制と行動実践の全共闘的原則が貫かれるべき事象であるからだ。

なんとも不思議な思いをさせられる文章群である。そして、衝撃の写真集!

たぶん、このルポは放射能汚染の影響の続く100年先まで、ある視点による記録として残ることだろう。読むべし。

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まさきとしか著「熊金家のひとり娘」(講談社、1785円)を読む

サイキック・ミステリーの趣があるが、描かれているのは人間の絆を通じた自己確認の形である。

物語はまず1971年、小さな北の島から始まる。「拝み屋」の血筋の娘、熊金一子。祖母と暮らしているが、島の誰かと交わり跡継ぎを産むという運命に逆らい島を出ようとしていた。次に1992年、東京の郊外に住む鈴木明生。男の子として生まれるはずだったことから自分は死んでいるように感じている。友だちは祖母が焼死した小柄な円条とませた女の子のデルタしかいない。自分たちの居場所を探して家を出るが…。続く1995年、明生の妹愛子はあの世とこの世をつなぐ「四次元冷蔵庫」の話を聞く。父親は家によりつかず、母は冷蔵庫を確かめに行った日に姿を消してしまう。そして2010年。家族は解体している。姉の明生は会社務めをしつつ、死期が近づいた父親を時折見舞う。妹の愛子は母親のルーツを求め、北の島を訪ねる。2人が再会した時、母親からの最後の手紙が届いた……。

Kumakane

この小説で「家族」とはいわば呪われた領域である。血のしがらみから抜け出そうとする娘=母親の脱出行は新たな業の積み重ねの始まりでしかなかった。人を殺めずにおれなかった夫、そして少年、生まれてこなければ良かったと思っている娘、あの世の世界の人たちが見えてしまう娘…。それは悲しい物語であるが、しかし、そこに悪意というものはない。彼らが生きているのは恣意(しい)によってではなく、「関係」によってであるからだ。

小さな謎が少しずつ解かれていき、その先には愛のようなものが視えてくる。この不幸な小説が多くの人に読まれるとしたら、絶望は希望の始まり以外のものではないからだろう。

まさきとしかさんは1965年、東京生まれ、札幌育ち。1994年、「パーティーしようよ」で第28回北海道新聞文学賞佳作、2007年、「散る咲く巡る」で第41回北海道新聞文学賞受賞。

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札幌市の中心部に創成川公園

札幌の二条市場の目の前に創成川公園が4月1日、オープンした。

市道創成川通の二つのアンダーパスを直結した創成トンネルの地上部分にあたり、長さ約800メートルの親水公園だ。

札幌市の中心部に創成川公園


彫刻家安田侃氏の作品や円形アートなど大小18点のオブジェが公園内に点在している。公衆トイレもずいぶん立派である。

まだ寒いので、あまり公園っぽくないが、もう少しすると緑も増えて、にぎやかになることだろう。

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絲山秋子著「妻の超然」(新潮社、1470円)を読む

文学がなんであったとしても、化け物だったとしても、おまえは超然とするほかないではないか。
おまえはこの町に来て初めて知ったのだ。ここでは、夕日はいつも山の向こうに沈む――。「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」を収録。異色の三部作。

Tumotyou

絲山秋子(イトヤマ・アキコ) 1966年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。住宅設備機器メーカーに入社し、2001年まで営業職として勤務する。2003年「イッツ・オンリー・トーク」で文学界新人賞、2004年「袋小路の男」で川端康成文学賞、2005年『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。2006年「沖で待つ」で芥川賞受賞。他の作品に『逃亡くそたわけ』『ニート』『エスケイプ/アブセント』『ダーティ・ワーク』『ばかもの』など。(新潮社HPより)

相変わらず絲山秋子は凄い。

絲山秋子著「末裔」(講談社、1680円)を読む

家族であることとはいったい何なのか
父や伯父の持っていた教養、亡き妻との日々、全ては豊かな家族の思い出。
「お兄ちゃんのとこも子供いないでしょ。私も全然そんな気ないけど、このままだったら誰もいなくなっちゃうんだねえ」
「そうだな」
「じゃあ、ほんとに私がこの家の、最後の一人なんだ」
省三の脳裏に「末裔」という言葉がよぎった。――<本文より>
妻を亡くし、子供たちは家を出た。省三は、自らの系譜に思いを巡らせる。(講談社BOOK倶楽部HPより)

Matuei

絲山秋子はやはり凄い。

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大澤信亮著「神的批評」(新潮社、2100円)を読む

自己を問うその先にある、批評の神髄へ――。決定的デビュー作、刊行。

絶対平和の詩人に孕まれていた暴力性はいかにして非暴力の地平へと至ったのか、その自己破壊的倫理に迫る新潮新人賞受賞作「宮澤賢治の暴力」。美の怪物と対峙することで、「食」という人間の存在条件を問う「批評と殺生――北大路魯山人」。全四篇を収録する、私たち自身の可能性としての思考。21世紀の批評はここに誕生する。

大澤信亮(オオサワ・ノブアキ) 1976年東京都生れ。文芸批評家。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。2007年「宮澤賢治の暴力」で第39回新潮新人賞〈評論部門〉受賞。『神的批評』は初の単著である。(以上、新潮社HPより)

Sinteki

宮澤賢治、柄谷行人、柳田國男、北大路魯山人についての評論が収載されている。文学小僧的には賢治論と柄谷論あたりが読みやすいかもしれない。特に、賢治が国柱会に入り、法華教の信奉者として国粋的-暴力的指向になりながら、それに対する転回をいかに果たしたのかをスリリングに問い詰めていく。また、柄谷論は「マルクス」をめぐる柄谷の思索を中心に彼の多くの問題提起が果たして現代の課題を射貫いているのか、柄谷系統の批評家には支持されないではあろうが、明快かつポレミークに展開している。

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井上美香著「北海道の逆襲 -眠れる“未来のお宝”を発掘する方法」(彩流社、1470円)を読む

★笑う地域活性化本、第3弾!北海道は住んでみたい土地ナンバーワンでも実は住みにくい?足元で“凍っている”未来のお宝を発掘・活用する方法を具体的に提案する

★笑う地域活性化本、第3弾!
★北海道は住んでみたい土地ナンバーワン、でも住んでみたい≠住みやすい、ではありません。
★イメージはよくても、過疎、財政、補助金依存体質など、悩める問題、逆襲すべき課題は多々あります。ではどうすれば? 足元で“凍っている”未来のお宝を活用すればいいのです。[目次] ▼第1章 おおらかな人々が暮らす大地……男と女の北海道的イメージ/「ゆとり教育」先進地?/札幌の3大まつりに見る道産子気質 ほか▼第2章 住んでみたい土地ナンバーワン!?……「非日本的」な北海道の歳時記/大地と大空の間で/田舎と過疎は違う/依存体質といわれ続けて ほか▼第3章 北海道の逆襲~眠れる未来の“お宝たち”……やっかいな雪と氷を利用する/森林からの逆襲/宇宙開発を先どる/高齢社会を先どる/旭山動物園の大逆転/食の逆襲 ほか▼第4章 北海道は日本じゃない!?……北海道独立論への誘い

井上美香:1963年北海道札幌市生まれ。北海道女子短期大学卒業。
鷲田研究所の所員として、鷲田小彌太の仕事を補佐しながら、新聞等で原稿を執筆。
著作『なぜ、北海道はミステリー作家の宝庫なのか?』(亜璃西社) (以上、言視社HPより)

Gyakusyu

内容は目次にあるとおりである。大好きな井上美香さんの単著である。美香さんは先に「なぜ、北海道はミステリー作家の宝庫なのか?」という共著を出している。これは、北海道の文学入門編としてとても良い本であった。それ以来、次はどんな本を書くのか楽しみであった。

驚いたことに文章は男語りであった。鋭い本質直観で北海道にまつわるエトセトラを前半で切って斬って伐りまくる。北海道の女性の喫煙論など、炯眼(けいがん)が光る。だが、ドサンコとしては結構、耳が痛い。しかし、後半は返す刀でマイナスをプラスにする可能性について事例に沿いつつ展開していく。この辺の心地よい語り口が「男だねえ」と唸らされるのである。まさしく北海道の逆襲が預言されていく。

たぶん、北海道独立論を含め、学者その他からは「スピード違反だ、ちょっと待った」と半畳が入るところだろうが、男・井上美香は「なんくるないさ」(違うか、「なんもさ」かな)とビシバシとパンチを繰り出すのである。学者的に整理するなら膨大な傍証が必要なところであるが、一気呵成に自論を展開するのである。師匠の鷲田小彌太先生のテーゼ主義的な書き方をやや俗流化した憾みは否定できないのであるが。

ドサンコ的には前半で困惑し、後半で面映ゆい思いをするかもしれない。さて、内地(道外)の人にはどう映っただろうか。痛快に読めました、という反応があれば、それが一番のような気がすることである。

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山城むつみ著「ドストエフスキー」(講談社、3780円)を読む

文学史上最大の衝撃、ドストエフスキーとは何なのか?
気鋭の批評家が切りひらくドストエフスキー論の新たな地平

ドストエフスキーの、いわゆる地下室的主人公たちは、ことさらに他者に対して天の邪鬼に反対し不同意を突きつけているように見える。しかし、彼らは、ほんとうは他者の言葉に強く引かれそれに自分の声を合わせたいのだ。ただ、それに声を合わせようとしてどうしても合わせることができないとき、協和と同意の合致点からのその微小なズレには激しい斥力を持つ異和が生じる。それは反論や不同意が産み出す反撥と似て全く非なるものだ。のみならず、そのような反撥よりもはるかに強烈な不協和、憤激を呼び起こすのである。本書は、そのような異和を、反論と不同意から生じる反撥と区別して「ラズノグラーシエ」と呼び、この強い斥力こそがドストエフスキーの世界の主な動力になっていると考えている。――<「まえがき」より>(講談社HPより)

Dos

圧倒された。

それほどドストエフスキーが得意でない人間には、次から次と重なり合ってくる人間と物語世界にひたすら恐れ入るしかなかったのである。

山城さんの評論は「ラズノグラーシエ」(異和)論でもある。これは「自同律の不快」(埴谷雄高)あるいは「弁証法的な主体の二重化」(三浦つとむ)に引きつけて私は読んだのだが、「これであって、これでない」というような引力と斥力が働く磁場がドストエフスキーの世界であるということのようだ。そして、そのドストエフスキーに二重写しになるのが、まさしくイエス・キリストでもある。彼の地上に剣をもって降り立つような憎悪と限りない愛が問われていく。なかなか歯ごたえ十分で、素人にはつらい。ぜひ、岩波新書で書き直してもらわないと、咀嚼しつくすことは難しい名著であろう。

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平野啓一郎著「かたちだけの愛」(中央公論新社、1785円)を読む

事故で片足切断の大怪我を負った女優と、偶然彼女を救ったデザイナー。心を通わせていく二人は、それぞれに見失っていた「愛」を取り戻そうとするが……。切なく美しい、著者初の恋愛小説。(中央公論新社HPより)

Hirano

自動車事故で片足を切断することになった美脚の女王・叶世久美子(かなせ・くみこ)。偶然、現場に駆けつけたデザイナーの相良郁哉(あいら・いくや)。この2人がさまざまなトラブルに巻き込まれながらも、最後には穏やかな愛を見つけていくというラブ・ストーリーだ。

物語のスタイルは新聞連載小説であったこともあって、読みやすい。さらに適度に同時代的意匠を加えてあり、情報小説であるとともに、一種の風俗小説のように読めるのである。面白い作品であるが、少しどこかでゴチックというか構築的世界観があり、その中で、登場人物が人形的に動かされるのがどんなものか。ある種の典型を追求したのだとも言えなくもない。

主人公の名前も少しこだわりすぎのような気もする。「相良」「叶世」という一種の判じもの的な名前が不思議な語感である。「愛」が「叶う」という連想ばかりが浮かんで、しかも前衛ジャズのアルバート・アイラーが重なりあって、ちょっと落ち着きが悪かった。

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