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2011/02/19

「ゴダール・ソシアリスム」を見る

ジャン=リュック・ゴダール監督。パティ・スミス。アラン・バディウ。エリザベート・ベタリ。ナデージュ・ボーソン=ディアーニュ。クリスチャン・シニジェ。

前作『アワーミュージック』から6年ぶりのジャン=リュック・ゴダールの長編劇映画。カンヌ映画祭に登場し、冒頭での海の凄まじい映像の一瞬から、全編を疾走する映像美、サウンド、みなぎる詩の活力で、カンヌを圧倒した。出演者は、ロック・シンガーのパティ・スミス以外に、知られた人は殆どいないが、全員、強烈なゴダール色で登場する。スタッフは、ゴダールのパートナーのアンヌ=マリー・ミエヴィルとサウンドのフランソワ・ミュージー以外は、殆どがこの映画での新しい顔ぶれ。映画には、箴言や警句があふれ、ゴダールお得意の引用がちりばめられている。セリフでさえも殆どすべてが引用という綱渡りの極限のような作り方。本作では、ついに、引用という制限の中で新たな創作を行う挑戦を劇映画で果たし、ポエジーを未踏の高みで開花させている。(作品資料より)(goo映画より)

Social

なるほど、「ソシアリスム」か、と思ったのは、第2楽章の「どこへ行く、ヨーロッパ」でガレージのベンチに腰掛けた少年が真っ赤なTシャツを着ているのを見た瞬間である。胸にはCCCP(エス・エス・エス・エル)と書かれ、カマトンカチの絵が描かれている。そうだ、ソ連だ。ヨーロッパはギリシアの昔から弁証法と組織された社会主義の夢を見ながら、ついには今、ありうべき共同体の手前の資本主義=アメリカの桎梏で停滞しているのだから。

未来の担い手である子どもとCCCPの組み合わせがシンボリックである。少年は言う。「もしある日、太陽が襲ってくるなら、太陽をぶん殴る」。なるほど。そして、少年とカメラガールの対話だ。「何を考えているの?」「君は?」「あんたのお尻」「本当に興味あるの?」「ノー・コメント」。この「ノー・コメント」こそゴダールの現在というように、「ある」。

1789年のフランス革命こそ、新たな時代を画するものだった。「20歳であること。理にかなっていること。希望を抱いていること。政府が間違えても正しくあること。読むことを学ぶ前に、見ることを学ぶこと」。少女は今、そう綱領宣言する。そう、希望を忘れてはいけない。

映画の第1楽章は「こんな事ども」(コムサ)だ。そこにあるのもソ連だ。スペイン内戦で共和市民軍が夢みたものは社会主義の宇宙だった。繰り返される闘牛の映像。反ファッショ戦争の代償として旅をする金塊はオデッサを経てモスクワに行く途中で消滅していく。その謎を辿ろうとしても言葉はそれぞれの物語を語り、乱反射するのみなのだ。その舞台は海だ!すべてを揺らし続けてきたかのように、「ある」。そして、カメラだ。それは多くのものを写してきたが、だからどうなのだ。

ラストは「われら人類」。限りない箴言の嵐の中で、歴史の6つの場所が映し出される。批判されているのは、ヨーロッパというよりもアメリカだ。「自由は高くつく。しかし、自由はお金や血で買われるものではなく、卑劣さ、売春、裏切りによって買われるものである」「北米人は、人民を解放すると主張しつつ、同時に人民に否応なく被征服感を抱かせることができたのだろうか?」。FBIの警告に「法が正しくないときには、正義が法に優る」、そして「ノー・コメント」なのだ。

Social2

札幌の映画館には多数とは言えないが、熱心なゴダール・ファンが入場していた。エンディング・クレジットが終わっても、ほとんどが立ち上がれないのが印象的だった。テーゼの小気味よい反復とざらざらとした映像による叙事詩。なんとも不思議な102分である。

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