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2011/02/12

小嵐九八郎「明日も迷鳥」(短歌研究社、1260 円)を読む

作家の小嵐九八郎さんの第三歌集である。初出一覧を見れば、1999年から2009年ころの約10年間に詠まれた作品集である。

小嵐九八郎「明日も迷鳥」(<br />
 短歌新聞社、1260<br />
 円)を読む


・こんにちはいなかとっつあんお喋りのふるしちょふ消え海は海いろ
・その死者は練馬に住んで酒好きで知ってるんだといえなくって
・真鶴の駅に森かぜ吹くものを血のりに酔いて息を鎖すと
・桔梗置く老革命家のすむ部屋はひとりの分派にひとりの寝床
・おーいおい、訴えならず哭きらしき工藤伍長は逃げて能代へ

・青いまま羽化しそこないし蝶のあり風にふるえていのちというは
・飛ぶ鳥がじゆうの喩との時は逝くそれとも朱鷺は飢えのつばさか

もちろんエロスもあれば日常詠もある。だが、小嵐さんの歌に残るは死者たちの鎮魂詠である。だがしかし死者たちは決して成仏はしていない。折々に心の海溝から吹き上げる熱泥のように、生ける者の臓腑を灼き尽くすのだ。それはロシア革命以降の赤色エレジーと言い措く能わざることなのだ。

実事求是とはいうが、「真鶴」駅の惨劇の前には私たちは言葉を失わざるを得ない。正直に言おう。工藤伍長か軍曹かはしらねども、その諸行、止めること能わざりしことを無念とぞ思えり。我は外聞にて他人ごとをあげつらいしにはあれど、心の悼みは内にありし人にはいささかも劣らずなり。

我は戦後の解放思想の優越性を今なお寸分たりとも疑いしことなく、それ故にロシア・ボルシェビズムではなくローザ経由の自立せる個による階級形成の苦闘を無化してはならじと思うのだ。総括とは死者たちの怨念のすべてを背負うしかないとしても。

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