« 歌人・笹井宏之さん死去から2年 | トップページ | 乾ルカさんの新しい奇跡の物語、「六月の輝き」を読む »

2011/01/27

小嵐九八郎「日本名僧奇僧列伝」を読む

小嵐九八郎著「日本名僧奇僧列伝 いのちというは、仏道」(河出書房新社、1,995円)を読む。

日本人にとって仏道とは何か。古代の止利仏師、鑑真から賢治、そして戦時の竹中彰元まで有名・無名の仏徒20名の肖像とその信仰の本質を、作家が人間味豊かに描き出す、仏教読み物の決定版。

小嵐 九八郎 (コアラシ クハチロウ) 1944年、秋田県生まれ。1986年、作家デビュー。1995年『刑務所ものがたり』で吉川英治文学新人賞受賞。著書に『ふぶけども』『蜂起には至らず』など多数。 (河出書房新社hpより)

Koarasimesokiso


仏教系の雑誌「大法輪」の約2年間にわたって連載された物語だそうだ。取り上げられているのは18の仏教者エピソードである。7世紀の推古天皇のころの止利仏師から始めて行基、鑑真和上、空也上人、運慶・快慶、雪村、春山和尚、沢庵、盤珪、桃水、良寛、勿外不遷、源左、正岡子規と清沢満之、高木顕明、種田山頭火、宮沢賢治、そして軍靴の高鳴る時代に反戦を貫いた竹中彰元が並ぶ。

もちろん、知っている人もいれば、全く知らない人もいる。だが、小嵐九八郎というフィルターを通して、いつの時代にも変わらぬ人間性を信じて生きた情熱の魂が迸り出てくるという趣向である。まともな抹香臭い物語と思ってはならない。<無信の信>とでも呼ぶべき解体(-再生)の世界が極北に広がっているのだ。

語り口は講談調、というよりも、変幻自在、破調の小嵐節が全開という感じである。

「八世紀後半だ。/隣の大国の唐では、流罪となた詩仙の李白が、酔っぱらって水中の月を両手に摑まえんとして溺死したと伝えられる頃である」(鑑真和上の最期の吐息)

「人殺しの武は永遠に続く。けどもや、まるで別世界のあることを、わしも、つくづく知らされ、ついつい、長船の刀の先の帽子で遊んでしまったのや。/生きていてくれんかの、沢庵。/あの遊びは、堪らんかった、楽しかったわ。/--(柳生)宗矩は、東海寺の山門に、喘ぎ喘ぎ、辿り着いた」(沢庵が残した“夢”)

「時間がない、本当は、このおんちゃん(=高木顕明)に「しんどかろうに、頑張って凌いでくれちゃりや」と言うべきところを、坂本清馬は、自らの生き方、毎日の過ごし方の指針を失いかけていて、せっかちに聞いてしまう。幸徳秋水派、そして無政府共産主義派は、政治と警察によって尽く一掃されてしまう気配に心が落ち込んでいた。いや、荒畑寒村が、堺利彦が、片山潜が……もしかしたら、次を。解らん。青春を賭けた生の意味が、虚しくなりかけていよるきに」(絶望の淵に-高木顕明の悶え)

最初は「小嵐さんともあろう人が坊さんの物語なのかよお」と、回心を想像して驚いたが、読んでいくうちに分かりました。小嵐さんの見つけようとした「宝物」が。さまざまな意匠(時代だとか環境だとか地域だとか、そんな表層)を剥ぎ取り、「仏の道」という補助線を引いてみれば、人間の持つ善性が貫かれているのだ。

ひょんなことから出会い、小嵐さんには優しくしていただいている。時折、ご著書をしっかり読むべし、と送っていただくことがある(にもかかわらず、読み切っていない本が結構あるのであるが)。墨が美しい文字を見ていると、小嵐九八郎という人もまた、ある意味で、求道の人なのかな、と思わされることである。

Koarasisan

|
|

« 歌人・笹井宏之さん死去から2年 | トップページ | 乾ルカさんの新しい奇跡の物語、「六月の輝き」を読む »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87302/50704751

この記事へのトラックバック一覧です: 小嵐九八郎「日本名僧奇僧列伝」を読む:

« 歌人・笹井宏之さん死去から2年 | トップページ | 乾ルカさんの新しい奇跡の物語、「六月の輝き」を読む »