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2010/12/02

映画「レオニー」の越境性

松井久子監督・脚本・制作。エミリー・モーティマー。中村獅童。原田美枝子。竹下景子。クリスティーナ・ヘンドリックス。メアリー・ケイ・プレイス。柏原崇。山野海。大地康雄。

1901年、米国の名門女子大学を卒業し教職に就いていたレオニー・ギルモアは、ニューヨークで新進気鋭の日本人詩人ヨネ・ノグチこと野口米次郎に雇われ念願の編集者になる。文学上のパートナーだった2人の関係はやがて恋愛へと発展しレオニーは妊娠するが、ヨネは逃げるように帰国してしまう。意を決して男子を出産したレオニーは、日露戦争を経て日本人への差別が激しくなると幼い息子と共に日本へ旅立つのだった。(goo映画より)

映画「レオニー」の越境性

天才を生んだグレートマザー・ヒストリーという感じで伝わっているので、そうした偉人伝的な格調の高さが不快だという人がいらっしゃるようである。しかし、まあ、そんなふうに意地悪く見る必要はまったくなく、ギリギリの場所を生きた人間の物語として見ると、ずいぶん面白い映画であったと思える。

たぶん20世紀というのは自分の居場所をどう確立するかという時代であった。レオニーという女性も優れた知性を持っていて、そういう可能性の中にあった。だが、在米日本人という一種の逸脱者に出会うことで、いつのまにかさまよい人となってしまう。自分の才能を野口米次郎の中に注ぐことで、彼女自身が透明な存在になってしまう。さらに、日本と米国の狭間で、彼女は日本へ旅立つことで今度は自分が野口米次郎と同じような居場所の悪さの中に投げ出される。なによりも日本の中で彼女は妻でもなく、封建遺制に翻弄される。

こうした境界的領域を生きている彼女から、イサム・ノグチという天才が生まれてくる。それがある種の可能性の必然のように立ち上がってくる。それが自然のように見えた。よい映画であったと思った。

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