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2010/12/26

「菱川善夫著作集第6巻  叛逆と凝視−近代歌人論」(沖積舎、3675円)を読む

内容は
1「短歌と近代−叛逆と異端のエネルギー」
2「滅亡論という名の短歌再生論」「日本のハイネ・石川啄木」「よみがえる啄木−啄木の現代性」「啄木の魅力−危険な心の殺し方」「地上の遊星・石川啄木」
3「反語的覚醒−国家を前にして」「与謝野晶子の二十世紀−ロマンチシズムの強と弱」「象徴の変相−太田水穂のであいと別れ」
4「『赤光』序説」「戦時下の茂吉をめぐる試論−自己分裂と観照の美の背景」「『白き山』論の論−鎮魂の破壊にむかって」「『ともしび』前後−大正から昭和へ」
5「明治三十年代の文明論−文明批評の成立と展開」

全部で349ページ。解題は門下の北海学園大学准教授・田中綾氏、あとがきは菱川善夫著作集刊行委員会代表の菱川和子さん。

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菱川善夫さんが2007年12月に亡くなって以来、5巻で中絶していた著作集が3年ぶりに再度刊行(続刊)を開始した。

目次から明らかなように、取り上げられている中心は石川啄木、与謝野晶子、斎藤茂吉の各論である。近代短歌のエネルギーを分析し、その後の前衛短歌へとつながる前哨という位置を占める論集であろうか。最も力を入れているのは石川啄木論であるが、素人読者の私の印象では最も面白いのは与謝野晶子論である。

石川啄木については彼のラディカリズムに迫っているのであるが、いささか革命的ロマンチシズム(政治的コンテキストとしての啄木論)に傾斜しすぎているところが論議が分かれるところである。たとえば、啄木の現代性をテロリズムにおいて捉え返し、2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センタービル攻撃を導き出すとき、その論は微妙に思えた。国家批判−社会主義革命を前景化してしまっては翻ってその思想の血肉化が問われるはずで、その革命的ロマン主義はその後のアナキズム、スターリニズム、帝国主義(軍国主義)の相補併存空間を突破する可能性としての<尖端−土着>を往還する自立の論理の質が検証されねばならないからである。

一方、与謝野晶子については彼女の小ブルジョア的限界をきっちりと押さえた上で、彼女の持っている生活者存在としての大きさ、国家(天皇−戦争)への芸術的抵抗、セクシュアリティ、ロマンチシズムが明らかにされており、20世紀を超えて21世紀での読み返しに多くの示唆を与えているように思えたからだ。与謝野晶子はエネルギッシュであり、すごすぎる。与謝野晶子をちゃんと読まなきゃと思わされた。

斎藤茂吉については、「赤光」ではなく戦時詠となると、その世界観を含めて研究者的には関心を触発されるのかもしれないが、いささか食指が動かなかった。

菱川善夫さんの特徴が端的に示されているのは序論かつ総論ともいうべき「短歌と近代−叛逆と異端のエネルギー」であろうか。先に触れた与謝野晶子の「みだれ髪」を近代短歌の第一のピークとし、石川啄木が「時代閉塞の現状」を書き、そのロマンチシズムが異端的かつ叛逆のエネルギーとなって、北原白秋の「桐の花」斎藤茂吉の「赤光」が刊行されていく時期を第2のピークとしている。文学史とは歴史観でもあるということがよくわかるところであった。

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