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2010/12/12

今ひとつの映画、「ノルウェイの森」を見る

村上春樹原作。トラン・アン・ユン監督・脚本。松山ケンイチ。菊地凛子。水原希子。高良健吾。玉山鉄二。霧島れいか。柄本時生。初音映莉子。

親友・キズキを自殺で失ったワタナべは、東京で大学生活を送り始める。ある日、ワタナベは偶然にキズキの恋人だった直子と出会い、毎週直子と東京の街を散歩するようになる。しかし、直子の20歳の誕生日、精神的に不安定になった直子と夜を共にする。それ以来、ワタナベは直子と連絡がとれなくなってしまう。さらに喪失感が深まり心を病んだ直子は、京都の療養施設に入所していたのだ。直子に会いたくても会えない状況の中で、ワタナベは大学で出会った不思議な魅力を持つ女の子・緑にも惹かれていく。

1987年に刊行され、2010年10月の時点で発行部数1044万部を記録している村上春樹の大ベストセラー小説「ノルウェイの森」。この作品をベトナム系フランス人監督のトラン・アン・ユン監督が松山ケンイチ、菊地凛子を主演に迎えて制作した映画が、本作『ノルウェイの森』だ。トラン・アン・ユン監督は、1960年代の日本を舞台に、時代の匂いを色濃く映し出しながらも、いつの時代も変わらない自然の姿や、人間の感情というものを鮮明に描き出している。村上春樹の小説の大きな特徴である、海外文学のような会話のやりとりも、小説のままに再現。ワタナベと言葉遊びのようなやり取りを交わす緑役の水原希子も、小動物のような鮮烈な魅力を放っている。(goo映画より)

Nor1


ご存じのように私は村上春樹が得意でない。好きではないが、それなりに読んでいる。「1Q84」book3が出版されたときに、飽きるほどブログを書いている。暇な方はあらためて見ていただきたい。

http://takaoudo.cocolog-nifty.com/takaoudoism/2010/04/post-b725.html

それぞれのリンクをたたいていただくと、私の村上春樹に対する構えが分かってもらえると思う。

さて、映画が原作に忠実であるとすれば、「ノルウェイの森」とはずいぶんな薄味な青春小説だと知ることだろう。

その内容のなさ。
過剰な自然現象と音楽が雰囲気を支配し、登場人物は文章を読むようにセリフを語る。
中性化された感情が意味ありげに突き出される空虚さ。
発想の中にある男性への甘さ。
そして異常なほどのセックス偏執。

だが、なにより1967年から71年と言えば、大学は高度資本主義へ飛躍する日本帝国主義により管理体制が強化されていく時期であり、一方、その物質的保証として米国のベトナム侵略戦争への日本政府の荷担、その見返りとしての植民地然とした沖縄の前線基地化と第三次琉球処分としての返還問題が問われていた。そうした現実と闘う学生の姿は愛に悩む主人公には単なる背景風俗でしかないのだ。

それにしても、主人公ワタナベは行き暮れている。
それでいて、結構、ナガサワに誘われて退廃を共有しているのだ。困ったことだ。

魅力的なのは、ワタナベ以上に自己解体しているナガサワのほうである。女性たちはそれぞれによい。ナオコの絶望感、ミドリの浮遊感、レイコの超越感、そしてハツミの焦燥感、といったものが切実に描かれている。それに引き換え、ワタナベは中途半端な善人のままである。

そして、いかにも唐突なレイコとの交接、ミドリへの告白というラスト。なんとも情けない終わり方であることである。
死んだ者は去っていき、それでも人は生きなければならない。

愛と死と再生。だとしても、これが独特の文体を除いたときの「ノルウェイの森」の世界観ということだろうか。

Nor2

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