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2010/06/14

50年目の「6.15」に寄せて

誰かが私を笑っている
こっちでも向うでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く

笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と

でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ

ただ許されるものなら
最後に
人知れず ほほえみたいものだ
(樺美智子「最後に」)


新しい安保条約に反対する声は全国に広がり、巨大な国民運動になった昭和35年(1960年)の安保反対闘争。そして、全学連が国会突入を図った6月15日、警察機動隊との衝突で樺美智子は死んだ。22歳。

Kannbamitiko


戦後日本で、国民のシンボルになったのは安保全学連=ブントの闘士であった樺美智子と、そして当時の皇太子の妃殿下になった正田美智子。その2人の美智子であったろう。どちらも美しく、そして心の心棒のしっかりした女性であった。不思議なことである。

安保粉砕の戦いはその後紆余曲折を経て、現実の壁の前で途切れがちになっている。50年目の6月15日、思い出だけが巡り巡っていく。そして、忘れたことも忘れてしまう。


昔の街はちいさくみえる
掌のひらの感情と頭脳と生命の線のあいだの窪みにはいつて
しまうように
すべての距離がちいさくみえる
すべての思想とおなじように
あの昔遠かつた距離がちぢまつてみえる
わたしが生きてきた道を
娘の手をとり いま氷雨にぬれながら
いつさんに通りすぎる
     (吉本隆明「佃渡しで」)

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