« いくつかの解決した懸案、解決しない懸案 | トップページ | 再録シリーズ「魔の刻 虚の場」1・パパとあたし »

2010/06/07

奥岡茂雄「片岡球子 -個性(こころ)の旅路」

奥岡茂雄「片岡球子 --個性(こころ)の旅路」(北海道新聞社、本体価格1100円)を読む。片岡球子展は先日まで札幌・芸術の森で開かれていたが、現在は場所を道北の旭川美術館に移し7月25日まで、同じく開催されているので、少し作品を見ただけに人物像を確認しておきたく読んだ。

片岡球子は明治38年(1905年)1月5日、現在の札幌市北8条東1丁目に生まれる。この年を聞いて、私がまず思い出したのは伊藤整のことである。北海道を代表する近代日本の文学者であるが、彼は1905年1月16日、道南の松前に生まれた。日本芸術院の会員であることで、共通であるが、伊藤整が会員になったのが1968年、片岡球子は1982年である。しかも伊藤整は1969年11月15日に学生反乱を見届けるように亡くなっているが、片岡球子は2008年1月16日に亡くなっており、2人は芸術院会員として重なってはいない。

Tamako

それにしても伊藤整を引き合いに出したのは、女性、画家というものがいかに長寿であるかということだ。伊藤整は64歳、片岡球子103歳である。つまり、伊藤整が決して得られることのなかった40年を片岡球子は生きて描いたのである。伊藤整のファンである自分は彼がもう少し長く生きてくれていたらなあ、と思うのである。翻って、片岡球子の年を重ねてなお作品に力を増すことはうらやましい限りだ。

この本についてはあまり言うことはない。本人の文章や言葉などに基づいて、コンパクトにまとめられた入門書というところだ。感動するのは「落選の神様」と呼ばれたあたりだ。とにかく7度も落選を続けると、人間腐ってしまうものだが、なんとか頑張って描き続けたところが凄い。

球子の作品を見ると、線の太さ、表現の大胆さだろう。歌舞伎役者や歴史上の有名人を描いた「面構」シリーズを見て思うのは、この人自身が「歌舞伎者(傾奇者)」であり「数寄者」であっただろうことだ。晩年に女性の裸体画を多数描いたことを含めて、その傾奇性が個性(こころ)という抽象性ではなく、踏み込んだ異形性(変態性)を突き詰める形で書かれた本を読みたかったところではある。少し古い本であるので仕方がないことではあるが。

|
|

« いくつかの解決した懸案、解決しない懸案 | トップページ | 再録シリーズ「魔の刻 虚の場」1・パパとあたし »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87302/48565822

この記事へのトラックバック一覧です: 奥岡茂雄「片岡球子 -個性(こころ)の旅路」:

« いくつかの解決した懸案、解決しない懸案 | トップページ | 再録シリーズ「魔の刻 虚の場」1・パパとあたし »