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2010/04/21

村上春樹「1Q84 BOOK3<10月-12月>」再再々論

村上春樹の「1Q84」について、3度にわたって論じてきたが、肝心なことを忘れていたので、論じ直す。

この作品の発想の根基にあるのはジョージ・オーウェルの「1984年」だ。原作はいうまでもなくソビエト・ロシアのスターリニズム批判の名著である。

オーウェルにはほかに「動物農場」という作品もあるが、何よりの代表作は「カタロニア讃歌」である。彼は1936年内戦のスペインにジャーナリストとして赴くが、民衆の姿に感動し、ナチス・ドイツとつながるフランコのファシズム軍との戦いに身を投じていく。その経験から生まれたのが「カタロニア讃歌」である。

オーウェルはソ連につながるスターリニズム共産党ではなく、トロツキズムに近いPOUM軍に加わった。その中で彼はファシストはもちろんだが、スターリン党の欺瞞にも直面する。この経験が珠玉のルポ「カタロニア讃歌」になり、絶望的なユートピア文学「1984年」として結晶していった。

「1984年」の中ではリトル・ピープルならぬビッグ・ブラザーが支配者である。超越的なものは言葉を支配し(ニュースピーク)、歴史を偽造して憎しみを組織(真理省)し、絶望を喜びとすること(ダブルシンク)を強制する。非合理的なもののために死んでいくことを合理化するというまさしくスターリン主義の世界である。

これに対して、村上春樹の「1Q84」の世界はカルト的な全体主義が随所に散見されつあるものの、それに対する反体制は機能し、常識も存在している。何か大いなるものに散華していく緊張感は少ないのだ。なぜだろう。原理的な脅迫は僕たちの社会には今なお存在するが、その共同空間においても外部は存在するからではないのか。要するに、憑きものは必ず落ちるのだ。少なくとも、それが時代の進歩ではないのか。

「1Q84」の根源にあるものは大いなる悪夢ではあるが、しかしそれは永久の絶望にはならない。そして、何よりも愛、そう、愛がある。もちろん、その愛もファシズム的な「儀礼」にすり替えられる危険性は残されているのだが。悲劇は「1Q95」で待ち受けているかもしれないのだが。

僕が「1Q84」を読みながら「1984年」を失念したのも、むべなるか、なのだ。つまりはそこは<ディストピア>じゃないからだ。ボードリヤール的に「透明な悪」の露出を言うことはできるかもしれないが、青豆も天吾もシステムの周縁で確かなものを探し求めているではないか。この愛のパラレルワールドは決して「1984年」にインスパイアされたメタファにはなっていないと思うのである。

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