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2010/04/23

清水良典の「1Q84 BOOK3」論について

清水良典の「1Q84 BOOK3<br />
 」論
毎日新聞の4月23日朝刊文化面(北海道版)の評論家の清水良典が村上春樹「1Q84 BOOK3 <10月−12月>」(新潮社、1995円)の感想を記している。

清水良典さんには「村上春樹はくせになる」という本があるが、(参考コラム参照)、とにかく本読みとしては優れた人である。僕はそれなりに敬意を払って読ませてもらっている。

■清水良典「村上春樹はくせになる」(2008/01/24)
http://takaoudo.cocolog-nifty.com/takaoudoism/2008/01/post_8f32.html

その、その清水さんがBOOK3を「こんなに読者に親切に書かれた小説を、この作家で読んだことがあっただろうか。まさにサービス満点の完結編なのである」と書いている。ありゃ、りゃあ。もう一作なければ終わらないと書いてきた当方としてはいささかがっかりである。

青豆の体に宿った小さなものを、「それはおそらく『神』などと言うより『希望』と呼ぶのがふさわしい」とも書いている。そして「孤独の袋小路から希望を手に入れる道の入口として、この物語は私たちに門を開けているのだ」と結んでいる。

ちょっと楽観的である。なんでだろうか。つまり、戻ってきた「1984」の世界に不穏なものはもう消えているのか。「リセット」が完了したものとして清水さんは読んでいるからだ。

だが、本当の悲劇は「1995」に爆発することを僕らは知っている。その可能性は物語から消えていないはずだ。その「兆候」を残し、さまざまな「ノイズ」を放置したままで、作者は物語を終えてしまうとしたら、読者としては極めて残念でならない。もちろん、予定調和的な結末を期待しているのではない。もう少し、語らなければ、ひきょうだと思うのだ。それを言えば、「ウィンドウズ1995」の登場を彷彿させる「非文学的」なこの作品の売り方自体に根底的な異議を申し立てねばならなくなるのだが。

それでいいのだろうか?

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