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2010/04/17

村上春樹「1Q84 BOOK3<10月-12月>」(新潮社、1995円)補遺

1984

参考
BOOK1について
http://takaoudo.cocolog-nifty.com/takaoudoism/2009/07/1q84-book1-0f48.html

BOOK2について
http://takaoudo.cocolog-nifty.com/takaoudoism/2009/08/1q84.html

BOOK3について
http://takaoudo.cocolog-nifty.com/takaoudoism/2010/04/1984.html

このブック3の影の主役が天吾の父親ならば、第三の主役は牛河である。牛河もまた天吾の後を付いていった公園で、その世界に月が二つあることを見た人物なのだ。「1Q84年」に紛れ込んだことに自覚的な存在なのだ。

意識の亡霊となった父親と牛河に共通するのは、徒労のように歩き回ることだ。彼らは周縁のようでいて、おそらく次の物語の布石の一つとなっている。たとえば、失われた家庭とその回復というような。

表現で気になったのは、家庭を失い、なるべくしてなった裏稼業の交渉人である牛河の孤独感であった。

「人の出入りをうかがいながら時間をつぶせる適当な場所を彼は目で探し求めた。しかしまわりには牛乳の販売店と、天理教の小さな集会場と、米屋があるだけだ」(387P)
「牛河は壁にもたれ、電柱と日本共産党の立て看板の陰に隠れて、『麦頭』の入り口を見張った」(389P)

牛河のこうした高円寺での探偵ぶりの描写のトリヴィアルさの中に村上春樹の感性と観察眼は顔をのぞかせているように思われた。

牛河が殺される前に言わされるユングが残したという「冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる」という言葉の無機質な諦念にも似た響き。さらに「永遠に生きられるほど有能な人間はどこにもいない」「人の死はすべからく悼まれるべきなのだ。たとえほんの短い時間であっても」というあたりに漂うのは、触れると人の手のぬくもりを奪うような非情さである。こうした世界からの回復を求めるとき、人は預言者の言葉を聞き、宗派的なものを求めてしまうのだろうか。

全体に物語の整理の性質の強いBOOK3には青豆、天吾、牛河という3人の主人公が出てきたが、果たしてBOOK4では第4の主人公が登場するのだろうか。そして、その主人公は誰か。

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コメント

まだ「19Q4」を読む段階に到達していませんが、3に「牛河」なる興味深い人物が登場する由。この「牛河」については、「クロニクル」にも同名で裏家業?の人物が出ます。作家解明の手がかりとなる人物設定なのか、まったく名前の一致は偶然で作品読解に無関係か、うど氏の洞察を求む。

投稿: 山本伸夫 | 2010/04/18 09:04

先に送ったメール中、小説タイトルを「1Q84」に訂正します。

投稿: 山本伸夫 | 2010/04/18 09:08

とりあえず、よくわかりません。いずれにしろ、「ねじまき鳥」も「1Q84」も1984年ころの物語ですし、春樹作品は同じような話や人物が繰り返し登場し、書き直されているようです。そういう意味では、作者のモチーフというか原体験的なものは持続的に表現されているということのようです。

投稿: 席亭うど | 2010/04/18 10:09

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