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2010/03/24

文月悠光「適切な世界の適切ならざる私」

文月悠光著「適切な世界の適切ならざる私」(思潮社、2100円)を読む。

文月悠光


第15回中原中也賞を最年少で受賞した札幌の女子高校生詩人の第一詩集である。なにしろ「14歳から17歳の間に書かれた」24編が収録されているのだが、その早熟ぶりにはあきれる以外にあるまい。

大半の詩は日常、とりわけ学校やその行き帰り、家での生活の一断面をとらえ返したものであるが、擬人化され、喩的な表現像が鮮烈に浮かび上がってくるのがすごい。

もう一つ、どうも十代の女性に失礼にならないように言うつもりであるが、女というか〈女性〉性がにじみ出すところに大胆さというか、ある種の確信的なエロスがあふれてくるのである。性的にとらえられる世界というのは作者の根基にある「崩れ」を象徴している。まさしく、その不安定感が「適切ならざる私」なのであろう。

「私にマンマと食われてしまう,/ただそれだけのことが/快いなんて/彼もまた、おとこなのだ。」

言われているのは「人参」である。大変なことだ。

たたみかけるような言葉もすごい。表題作の一部を引く。

「幼女が妖女になるとき。月の手にひかれて波はひしげる。点々と落とされた経血の紅から、それはアンタレスのあでやかさ。狩人オリオンの手から弓を奪った巨大サソリはいま、両腕を広げ、排卵している。天の川に隠された毒尾は月齢を知らないけれども、髪を結った少女の目に潮を吹きつけていく。」

本当はこれらの性的表現は思春期だからできるものである。詩人が女性として齢を重ねていくとき、これらの素朴だけれど迫力に富む表現はどう変容していくのだろうか。しごく気になる。

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