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2010/03/17

村上春樹「沈黙」について

村上春樹「沈黙」について
村上春樹著「レキシントンの幽霊」(文春文庫、480円)には7編の短編が収載されているが、そのうち「沈黙」という作品を課題として読む。

Wikipediaによれば、「沈黙」は《1991年1月21日に講談社より刊行された『村上春樹全作品1979〜1989 (5)』に書き下ろし短編小説として収録。また全国学校図書館協議会から「集団読書用テキスト」として発売されている。 》とのことで、いわば読書少年の課題教科書のような作品というわけである。

物語は、「僕」に「誰かを殴ったことがあるか」と聞かれた「大沢さん」が主人公。彼は中学生の時に、一度だけクラス一番の秀才の「青木」という男を殴ったことがある。大沢は英語のテストで一番になったが、カンニングの噂を流される。そこで青木を「害虫のような人間」と思い、ためらいはあったが殴る。高校最後の夏、1人の級友が自殺する。いじめを苦にしていたとみられ、ボクシングをしていた大沢が疑われる。先生に聞かれ、警察に呼ばれる。クラスの雰囲気は大沢に対して険悪になる。その陰には復讐しようとした青木がいたようだ。殴りはしなかったがにらみ合う。

大沢は思う。「僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の話を無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口あたりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽちも、ちらっとでも考えたりはしないんです」

さて、私はどう思ったか。とりあえず原則のみを記しておこう。私は大衆主義者だ。吉本隆明さんが「転向論」で述べているように、満州事変以降なだれを打って戦争に大衆がのめり込んでいくならば、それとの緊張関係をこそ優先する。自足した観念論の宇宙で「自分は正しい」と空語する高みには立たない。暴動があれば参加するし、国会に突入するならば「所詮は壮大なゼロ」といった冷水を浴びせない。それが無に帰せば、日常の自然に戻る。そのことについては自覚的にあるということだけは手放さない。関係の絶対性を大衆の論理で鍛え直す以外に、輪廻は断ち切れない。悪意を絶対化しない。

「夢の中には沈黙しかないんです。そして夢の中に出てくる人々は顔というものを持たないんです」と言うが、私にはその「沈黙」の夢の隣に、はっきりと作者の顔が浮かんでしまうのであるが。

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