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2010/02/22

読み残しの本に挑戦

土日は体調不良もあり、本を読んで過ごす。ああああ、映画見たい! と思ったが、活字も悪くない。ずっと、机下に放置しておいたものだ。

1:
朝倉かすみ「深夜零時に鐘が鳴る」(マガジンハウス、1575円)を読む。
読み残しの本に挑戦

幻の女友だちリコを通じて自分を探していく30歳前、彼氏なしの匂坂展子。心憎い人間洞察が快感の「喫茶去」トーク炸裂だ。誰にでもリコはいる、忘れたり気づかなかったりけど。さて、だらりん人生リセット!じゃあ、とファイトがあうぃてくる。全体に「田村はまだか」的な味わいが喫茶店にあふれる。札幌の匂いの立ち上がった物語。それにしても、なんかおばちゃんの話芸的なノリなのはいいのか、悪いのか。

2:
喜多由布子「秋から、はじまる」(文藝春秋社、1700円)を読む。
読み残しの本に挑戦

仕事人間のおば、リツちゃんと親の脛かじり、ジュジュのパラレル・ラブストーリー。オトナの恋愛も情熱的だし、若い2人もユルクない。でも、いつだって、全力勝負で。ラストも甘いけど、いいんじゃないかい。正直、前半は書き割りつくりに忙しく、ちょっとノリが悪かったのですが、後半に向かってビシバシと鞭が入って行きます。これも、元気の出る小説だな。

3:
水村美苗著「日本語が亡びるとき」(筑摩書房、1890円)を一日かけて読む。
読み残しの本に挑戦

がっかり。憂国のナショナリズム教育論と、エリート主義の治者の論理の表出。漱石「三四郎」の広田先生論はなんだか柄谷行人論のように哀しく聞こえる。現在の文学者は頑張っているので余計なお世話か。漱石と柄谷的な批評空間が好きなのだなあ、ということが伝わってくる。もちろん、新発見じゃないが、なるほど、と思うところがないわけじゃないが、ネット文化論にしてもだんだんつまらなくなるのは困ったものだ。
それにしても、ヤマかっこを使いすぎではないか。<自立>派の私が言うのもなんだが、美しくない。また、坂口安吾の日本文化私観を批判しているが、安吾の覚悟は情況論として、現下の通俗憂国論をも撃つ射程を持っていたように思う。
ただ一つ共感したのは、体調が悪くて苦労している場面。その辺を乗り越えたこれだけの本を書けたのは凄い。

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