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2009/08/31

友人帰らず 土に還る 

自民党が歴史的大敗をし民主党主導政権の誕生を決めることとなる8月30日朝、先日見舞いに行ってきた友人が亡くなった。58歳であった。

23日に非公式な話で聞いたところでは、あと一週間も持たないとのことであった。仮に医者の見立てがそうであるならば、亡くなる前に会っておかなければ夢見が悪いので、24日に万障繰り合わせて出向いたのである。私の来るのを待っていたかのように、すこぶる元気であった。「29日には退院するのだ」とボードに書いて、その日を待っているかのようであった。だが、医者の言葉では「29日まで持つかどうか」ということのようだった。

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案の定、29日朝、体調を壊し、退院が難しくなった。そして、30日朝に親族が見舞うと、亡くなったとのことである。1950年12月生まれで、59歳の誕生日までは届かなかった。

根室の高校を出て、首都圏の和光大学に進んだが、時は折しも70年安保闘争の正念場を迎えていた。ベ平連系の活動家となり、なんやかにやしているうちに混乱の中で帰郷した。稼業の漁網販売の仕事に就き、地域では名門の家系であったので、一時は羽振りも良かった。しかし、日ソ漁業が200海里時代を迎え衰退し、北洋から沿岸に漁業は縮小撤退、また大手漁網会社の攻勢の中で個人商店では太刀打ちできなくなり、何度か失敗を繰り返した。頼まれて、弁護士費用を知人と百万円ほど用立てでやったこともあったが、焼け石に水であった。商売がダメになってからはあちこち身体に不調を来すことになった。また、最愛の妻を20年ほど前に亡くしてしまったことも、本人にはかわいそうであった。酒が好きで、私が根室にいたころは、本町のアパートに訪ねてくるので、繁華街の梅ヶ枝町に繰り出した。居酒屋で食べ、スナックで飲み、立ち食い蕎麦か堅焼きラーメンを食べて帰る毎日であった。札幌に移ってもラグビーの用事の折に訪ねてくるので、家内が好きなだけ飲ませて遊ばせた。貧乏になってからも、地震の保険金が入ったので東京の小笠原諸島に行くのだと言って、旭川のマンションに訪ねてきたこともある。その時も家内が朝まで飲ませた。要は憎めない奴なのだ。舌ガンの末期とわかってから、家内とできるだけ手紙を書いて送った。励ましになったかどうかわからない。1年6ヵ月ほどの闘病の期間で1年は病院に入っていた。声を失ったことよりも、食べることの喜びを失ったことが一番堪えているようであった。

愛妻を失ってから、いつも妻のことを忘れずに生きていた。今ごろは「待たせてすまなかったな」と西方浄土で育子さんに謝っているかもしれない。そう思ってやりたい。合掌。

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