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2009/08/03

村上春樹著「1Q84 BOOK2<7月-9月>(新潮社刊、本体価格1800円)。

ようやくまわってきた村上春樹の話題作の「下巻」を一気読みした。あいかわらず思わせぶりな物語であるが、ずいぶんわかりやすく進んでいく。それにしても、「下巻」と口走ってしまったものの、これじゃ続編ありに決まっているじゃないか、という代物である。当然、あと2巻、起承転結となる。どうしてか? そりゃあ、本作で「月が2つ」見えるのだし、「マザ」と「ドウタ」がセットなのだし、「パシヴァ」と「レシヴァ」が最強のコンビなのだから、対(ペア)で動くのは必然だからだ。

1Q84

そして、「天吾」と「青豆」もまた動かしがたい運命の2人なのだ。この2巻で「青豆」は死んでいくように仮構されているのであるが、しかし、それが実在か虚体か定かでないが、「青豆」は「天吾」と離れたまま死ぬことはありえないはずである。そうでなければおかしい。というのが私の直感である。

「1Q84」とは「書き換え」の物語である。リニアな形で世界は存在しているのではなく、無数の迷路の中の1つを選び取っている結果に対し、オルタナティブな潜勢力を定立しうる源基を求める「愛」の物語なのだ。崩れた愛の世界は回復され(癒され)ねばならない。

「リトル・ピープル」をオカルト的に解釈したい者はそうするがいいさ。現世に浸潤してくる「悪意」の通路と契機をイメージしてみるがいい。それに対して、「反リトル・ピープル」は常に同じ大いさで形成される。その「反リトル・ピープル」を通じて、現実という「物語」を「書き換え」ようとしているのだ。

おそらく村上春樹の中には、何かを「書き換え」たいという情念のようなものが渦巻いているのだろう。この場合、一応、「何か」としておくが、彼の中では、オンリー・イエスタデイだろう。

それにしても、満州もそうであったが、北海道の山の中の孤児院やら函館やら歌志内の郊外やら、さらには朝鮮人やらが登場人物の心の陰翳を示す装置として使われている。オウム真理教やら麻原彰晃やらも同様である。それらの事件を文学的に超克しているかどうか、未だ答えるには値しないだろう。

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