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2009/03/15

ダウト−あるカトリック学校で−

ダウト−あるカトリック学校で−

ジョン・パトリック・シャンリィ監督・原作戯曲・脚本。メリル・ストリープ。フィリップ・シーモア・ホフマン。エイミー・アダムス。ビオラ・デイビス。

1964年のニューヨーク。ブロンクスにあるカトリック学校セント・ニコラス・スクールでは、校長のシスター・アロイシスが厳格な指導を信条に日々職務を果たしていた。一方、生徒の人気を集めるフリン神父は、ストイックな因習を排し進歩的で開かれた教会を目指していた。しかし、唯一の黒人生徒ドナルドと不適切な関係にあるのではないかという疑惑が持ち上がり、シスター・アロイシスによる執拗な追及が始まるのだった…。

ケネディ大統領暗殺や公民権運動の拡大など激動の時を迎えた米国において、戒律の厳しいカトリック教会にも確実に変革の波が押し寄せていた。そんな中、旧来の価値観に固執する修道女を主人公にした本作は、ジョン・パトリック・シャンリィ監督がトニー賞とピュリッツァー賞に輝く自身の舞台劇を映画化したもの。人は確信が持てないときどうするかをテーマに、人種問題も織り交ぜて緊張感溢れる人間ドラマが展開する。通算15回目のアカデミー賞ノミネートを勝ち得たメリル・ストリープ対フィリップ・シーモア・ホフマンの激烈な舌戦に加え、黒人生徒の母を切実に演じるヴィオラ・デイヴィスの登場シーンも特筆すべき見せ場だ。(goo映画より)

ダウト−あるカトリック学校で−

舞台劇の映画化らしく、主演二人の息詰まる応酬が見どころか。「疑い」が生じると、それを徹底的に糾弾せずに済まないのが、神学的である。一方、その疑いに対しては、説教を持って答えるのも同じ意味で神学的である。なんだか、見ていて鬱陶しくなるのは、この世界のどこかに存在する「曖昧さ」や「両義性」に対する潔癖さと打算の相克であるからである。

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