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2009/03/10

ジャーナリズムの現況へのいくつかの指摘

3月10日の産経新聞1面コラム「産経抄」。
http://sankei.jp.msn.com/column/1221/clm1221-t.htm
先に、このブログ3月7日「訳わからん新聞記事」
http://takaoudo.cocolog-nifty.com/takaoudoism/2009/03/post-598f.html
で紹介した朝日新聞の3月7日の「政府高官」記事が皮肉たっぷりに紹介されていた。

「朝日新聞には、ときどき不思議な記事が載る」との書き出しで、「朝日としては、高官の名前を出していない」が、民主党が漆間巌内閣官房副長官とみて追及することを同じ記事で載せており、「同業者としては、うまいやり方だと感心もするが、首をひねった読者も少なくないだろう」と指摘している。

こんなふうに皮肉らなくても、「おかしい」と、すっぱり書いたほうがいいのだと思う。

朝日・読売・日経の共同サイト「あらたにす」のコラム「新聞案内人」で、栗田亘(コラムニスト、元朝日新聞「天声人語」執筆者)という人が「『もの言わぬ記者』と評されては…」と題して書いている。
http://allatanys.jp/B001/index.html

最近の記者が政治家から暴言を吐かれても、あるいは常軌を逸した行動を見ても、何も言えない実情を嘆いたものだ。まあ、それはそうだろうな、というレベルの話だが、最後に、<メディアにも談合らしきものが見え>という選外という川柳を一句添えているのが効いていた。

実は私も、オフレコ懇談の曖昧さを見ていて、少し(本当はものすごく)腹が立っていた。だって、オフレコ懇談は役に立つようなことを新聞・テレビのメディアは言っているが、どう見てもそれは排他的な空間での懇談だろう。むしろ、どこまで報道するか、内容をメモ合わせしたりと、とても「談合」によく似ている。

栗田さんの引用した川柳もそういうことを言っているに違いない。政治家に政治献金があれば、メディアには情報リークがある。もちろん、どちらも崇高な目的のために、そうした危ない橋を渡っているのだが、外形的には非常によく似ている。反省と自戒を込めて言うのだが、現在の政治のていたらくぶりは、政治家や政治体制だけが問われているのではなく、メディアの姿勢もまた問われていることは明白ではないか。

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