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2009/03/24

小説を書きませんか、たって

1年ほど前の話である。

大先輩のOさん。礼儀正しく温和で親切だ。

 「どぅお、体の具合は?元気にしているかい?」

そんな優しい言葉、最近ついぞ聞いていない。ありがたや。「やはり、冬場は風邪気味で苦労しました。ぐしゅん」なんて甘えたい気分になる。だが、次の瞬間わが耳を疑った。

 「今度、文集を作ることになっちゃって。50枚ほど小説を書いてください。五月まででいいよ」

いいよ、たって。

 「大丈夫、たまには君の小説を読んでみたいという声もあって」

全然大丈夫じゃない。

雑文書きは本業兼趣味。だが、小説執筆など遠い空の向こうの世界だ。

だいたい小説を書く人は特別と思っている。昔の私小説家は仕事を失い、妻には逃げられ、愛人との自殺は失敗、陋巷をさまよう。ぶざまな姿を文章にするのだから普通じゃない。

小樽出身の文学理論家、伊藤整は「逃亡奴隷と仮面紳士」と、私小説家を評した。作家は自由を得ようとしながら、現世の壁に激突し、もがいているのだ。

こちら小市民に満足の日々。とても、そんな根性ありません。無理無理。

 「でも、作家だよ…」と悪魔のささやき。確かに、「作家」は魅力的な言葉である。でも、どうすれば、作家になれるのか。政治から文学に転進した大衆作家のKさんは言う。

 「ペンと紙さえあればいい。あとは時間と根気」

それで、小説が書ければ苦労はないぞ。

それから、1年。

結局、50枚の原稿は書いたものの、内容に自信なしで、ボツとなった。

 「また、やるかい」

悪魔のささやきが時々聞こえる。どんなものか。

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2009/03/23

辰巳泰子さんのライブのご案内

東京は三鷹市に住む美女歌人の辰巳泰子さんから、「大阪弁訳 へいけのうたあかり(平家歌灯)」第3弾の案内状をいただいたので、紹介しておきます。

「平家歌灯」は自分の子を戦場へ送りたくない女の歌語りだそうです。

作・演出は辰巳泰子さん。合戦曲は加藤尚彦さんだそうです。開催日時は2009年4月19日(日曜日)午後4時半から午後6時まで。場所は東京都新宿区新宿3-35-5 守ビル5階(JR新宿駅東南口徒歩高架沿いすぐ)のJazzBarサムライ(電話03・3341・0383)。料金は1500円(ワンドリンク付き)。余興として、投稿作品朗読もあるそうです。

辰巳泰子さんは1966年大阪生まれ。90年第一歌集「紅い花」で歌壇の芥川賞と言われる現代歌人協会賞を最年少で受賞しているそうです。

私は「恐山からの手紙」という歌集をいただいて読みました。なんだか異界にさまよい込んだような感覚にとらわれました。まさしく歌人はイタコなのだと思いました。お酒は一度だけ一緒に飲みました。その後、朗読実演ライブを新宿のどこかに見に行ったりしたこともありますが、良い意味で魔女です。

辰巳泰子さんのホームページを右サイドにリンクしておきますので、一度ご覧ください。ある意味、波瀾万丈かな、と勝手に思っています。


大阪弁訳の平家物語は「自分で訳しています。大変なことを始めてしまいましたが、やりとげます」と決意を述べられています。

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2009/03/22

旭川市中央図書館

旭川市立中央図書館
ガンもどき騒動で検査があったり、母親の体調不良・転居などがあったりで落ち着かず、しばらくストップしていたアルバイト原稿というか、ボランティア原稿を再開する。

どんどん分からないことが出てくるので、調べ直すために、旭川に行く。例によって、市立図書館にお世話になる。旭川の地域新聞のバックナンバーを調べる。本紙は5年前までしか残っておらず、どうなるかと思ったが、マイクロフィルムがあるので助かった。

半年分くらいを早送りで見ていたら、頭が痛くなった。年のせいか、疲れやすくなった。困ったことだ。

幸い探し物は見つかり、一部をコピーしてもらう。

札幌ではほとんど行かない図書館だが、今ごろ旭川でお世話になるのだから、分からないものだ。

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2009/03/18

人生楽なく苦ばかり-姓名判断で開運祈願

占いブームだそうだ。

血液型占いの本がベストセラーになっている。

新聞も朝刊には生まれ月の「きょうの運勢」、日曜版には「星占い」。いずれも生活の心覚えとして根強い人気だ。

手相や顔相は街角での占いの主流だし、気の流れで建物や間取りを決める風水もある。

私は科学的思考を優先するから信用しない。

だが、気になる。

身内に不幸があり、一息つくまもなく知人が舌がんで入院した。低迷が続くので、姓名判断に初挑戦してみた。

その結果は結構、衝撃的。同姓同名の方は聞き流してもらいたい。

天格10。大凶。多難。チャンスを逃す。

 地格14。大凶。不遇。努力家だが意志薄弱。

 人格10。大凶。多難。むら気で凝り性。

 外格14。大凶。孤立。控えめ、人見知り。

どの流派で試しても五十歩百歩。いまさら名字が凶と言うのも困る。

http://mei.longseller.org/?m=div&fam=%E8%B0%B7%E5%8F%A3&fir=%E5%AD%9D%E7%94%B7

ここまでひどいと気が引けるのか全体は悪くないとの助け舟も付く。

総格24。大吉。愛情に恵まれる。財運強く切望せずとも手に入る。晩年は運勢上向く。

当然、総格の大吉を信じる。もっとも、もう十分晩年なのだが…。

一つすると、次が気になるのが占い。幸せな言葉探しは癖になる。なるほど、ブームになる。

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2009/03/17

麻生さんの横顔

 人生を斜に構えたい中年おやじの星のようで、期待を裏切り続けてくれている麻生さん。

 あらためて、プロフィルを読み直してみた。

 趣味は「漫画」と「クレー射撃」が有名だ。

 週十冊以上の最新コミック誌を移動の車中で読み、「ゴルゴ13」は全巻所持。(読書家?)

 好きな歌は地元・北九州を舞台にした任侠(にんきょう)賛歌の「花と竜」。

 嗜好(しこう)品は「キューバ産の葉巻」。(これにラム酒があればヘミングウェーのよう)

 一九八四年、女性誌の特集「男はすこしワルがいい」に登場。「元祖ちょいワル」である。(当時の広告)


Asotaro_4


 肩で風を切り、狙った獲物は逃がさないスナイパー(狙撃手)。べらんめえ。オレの背中に立つと命がないぜ。紫煙を残しハンフリー・ボガートのように去っていく。

 そんな感じが伝わる。 でも、一発必中どころか、誤爆誤射の連続なのはどうしたことか。ボタンの掛け違いや誤解に足を引っ張られことはよくあるが。ゴルゴ13よりずっこけマンガ風だ。

 座右の銘は「天下をもって公となす」。これは中国の古典「礼記」にある言葉だそうだ。

 天下は独り善がりの為政者のものではなく、人々のものである、という意味だろう。

 ここは初心を大切にしてもらいたいところだ。

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2009/03/15

ダウト−あるカトリック学校で−

ダウト−あるカトリック学校で−

ジョン・パトリック・シャンリィ監督・原作戯曲・脚本。メリル・ストリープ。フィリップ・シーモア・ホフマン。エイミー・アダムス。ビオラ・デイビス。

1964年のニューヨーク。ブロンクスにあるカトリック学校セント・ニコラス・スクールでは、校長のシスター・アロイシスが厳格な指導を信条に日々職務を果たしていた。一方、生徒の人気を集めるフリン神父は、ストイックな因習を排し進歩的で開かれた教会を目指していた。しかし、唯一の黒人生徒ドナルドと不適切な関係にあるのではないかという疑惑が持ち上がり、シスター・アロイシスによる執拗な追及が始まるのだった…。

ケネディ大統領暗殺や公民権運動の拡大など激動の時を迎えた米国において、戒律の厳しいカトリック教会にも確実に変革の波が押し寄せていた。そんな中、旧来の価値観に固執する修道女を主人公にした本作は、ジョン・パトリック・シャンリィ監督がトニー賞とピュリッツァー賞に輝く自身の舞台劇を映画化したもの。人は確信が持てないときどうするかをテーマに、人種問題も織り交ぜて緊張感溢れる人間ドラマが展開する。通算15回目のアカデミー賞ノミネートを勝ち得たメリル・ストリープ対フィリップ・シーモア・ホフマンの激烈な舌戦に加え、黒人生徒の母を切実に演じるヴィオラ・デイヴィスの登場シーンも特筆すべき見せ場だ。(goo映画より)

ダウト−あるカトリック学校で−

舞台劇の映画化らしく、主演二人の息詰まる応酬が見どころか。「疑い」が生じると、それを徹底的に糾弾せずに済まないのが、神学的である。一方、その疑いに対しては、説教を持って答えるのも同じ意味で神学的である。なんだか、見ていて鬱陶しくなるのは、この世界のどこかに存在する「曖昧さ」や「両義性」に対する潔癖さと打算の相克であるからである。

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2009/03/14

ヤッターマン

ヤッターマン
三池崇史監督。櫻井翔。深田恭子。福田沙紀。生瀬勝久。ケンドーコバヤシ。阿部サダヲ。岡本杏理。

高田玩具店の1人息子のガンちゃんは、父親の開発途中のヤッターワンを完成させ、ガールフレンドの愛ちゃんと共にヤッターマン1号、2号としてドロンボー一味と戦っていた。ある日、考古学者の海江田博士の一人娘、翔子からドクロストーンを探しに行ったまま行方不明になっている博士を探し出して欲しいと頼まれる。ヤッターマンに変身したガンちゃんと愛ちゃんはヤッターワンを出動させ、一路、博士のいるオジプトへ向かう!

1977年に「タイムボカン」シリーズ第2弾として放送された国民的人気アニメ、「ヤッターマン」がまさかの実写映画化。天才発明家少年のガンちゃんとガールフレンドの愛ちゃんが最強タッグを組み、ドクロストーンをめぐりドロンボー一味と戦う。遊びに徹して作られたアニメだけに、映画化は難しいと言われていたが、最新CGを駆使し、オリジナルのイメージを全く損なわないヤッターマンが完成した。ケンダマジック、シビレステッキ、メカの素など、涙が出るくらい懐かしいメカや、「今週のハイライト」「説明しよう」「今週のビックリドッキリメカ、発進!」などなど、お約束のフレーズも使われている。原作で育った世代も大満足の仕上がり。(goo映画より)

やあ、面白かった。

ヤッターマン

原作漫画の軽いノリ、そして、三池監督の変態マニアぶりが見事にコラボレーションとなって、老若男女が楽しめる作品になっている。映画館は結構なにぎわいで、後ろや前にいるガキん子軍団はラストの予告編に釣られて「また見たいね」などと騒いでおりました。

映画のテーマは愛であるのも楽しい。ドロンジョとヤッターマン1号の弾みのキスシーンをメーンに、登場人物それぞれが恋心を募らせている。「ヤッターマンは私の大切なものを盗んでいきました」みたいなせりふを聞いて、思わず名作「ルパン三世カリオストロの城」(だったかな)の銭形のおっさんのせりふを思い出してしまいましたがな。

スター櫻井翔はスマート感をうまく出しておりました。コスプレ・セクシーの深田恭子はアンバランスな印象がかえってある種の非現実的な美女の好演につながっていましたな。まあ、一番ノリノリなのは、生瀬勝久か。あのアホで一直線な子分ぶりは助演男優賞に決定です。

ヤッターマン

「ブタもおだてりゃ木に登る」というような人気フレーズもしっかり押さえており、三池監督はさすがでござる。

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2009/03/10

ニュースショーという夜郎自大

ニュースショーという夜郎自大
朝起きて、テレビをつけると、みのもんたが出ている。もう、いい歳なのだから、頑張っているのは立派だ、と言いたいところだが、うるさいので困る。

みのはいつから国民の代表になったのだ。しかも、自分の趣味嗜好で事象を論評するのは、いささか公共の電波を使うには相応しくない。

まあ、昔から大橋巨泉のように好き放題で番組をやってきた人間はいた。だが、巨泉にはあくまでも娯楽番組の中で演じているという自覚が感じられた。

報道番組では田原総一朗の独善的進行、たとえば「共産党はいつも同じことを言っているから」と、議論に参加させないケースなど、があるが、それでも、自分の意見は相手の意見を聞くための挑発であるとの戦術的限定への理解があった。久米宏も基本的には同じだ。

ところが、みのもんたにはそうした自己否定が全くない。単純に怒り、自分が大衆や正義の代弁者だと信じて疑わない。単純莫迦ならいいが、自分のジャーナリズム的側面を露悪的に利用して恥じない。泣き芸の徳光和夫にさえも莫迦になるのはジャイアンツの時に、という分別があるのだが。

ジャーナリストの謙虚さも物事に補助線を引いてみるという複眼的発想が著しく欠如しているのではないか。ニュースは事実を冷静に伝え、報道のみでは判らない背後の問題点を整理、掘り下げるべきなのだ。亡くなった筑紫哲也には抑制しながらも本質を手放さない凄みがあった。

ほっとけな〜い、と国民の代弁者を気取っての大芝居はとても恥ずかしい。天気予報のお姉ちゃんを「根本くーん」と呼んでからかっているあたりが、似合っている。

報道をいつまでもエンターテイメントにしていては、国民を愚弄するばかりである。もちろんネットの世界にはエキセントリックやファナチックな人が山ほどいる。だが、彼らはせいぜい自主メディア空間で叫んでいるだけだ。テレビは影響力の規模が違う。

権力を持っている人ほど自分に謙虚であらねばならないということは、この場合でも同じである。

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ジャーナリズムの現況へのいくつかの指摘

3月10日の産経新聞1面コラム「産経抄」。
http://sankei.jp.msn.com/column/1221/clm1221-t.htm
先に、このブログ3月7日「訳わからん新聞記事」
http://takaoudo.cocolog-nifty.com/takaoudoism/2009/03/post-598f.html
で紹介した朝日新聞の3月7日の「政府高官」記事が皮肉たっぷりに紹介されていた。

「朝日新聞には、ときどき不思議な記事が載る」との書き出しで、「朝日としては、高官の名前を出していない」が、民主党が漆間巌内閣官房副長官とみて追及することを同じ記事で載せており、「同業者としては、うまいやり方だと感心もするが、首をひねった読者も少なくないだろう」と指摘している。

こんなふうに皮肉らなくても、「おかしい」と、すっぱり書いたほうがいいのだと思う。

朝日・読売・日経の共同サイト「あらたにす」のコラム「新聞案内人」で、栗田亘(コラムニスト、元朝日新聞「天声人語」執筆者)という人が「『もの言わぬ記者』と評されては…」と題して書いている。
http://allatanys.jp/B001/index.html

最近の記者が政治家から暴言を吐かれても、あるいは常軌を逸した行動を見ても、何も言えない実情を嘆いたものだ。まあ、それはそうだろうな、というレベルの話だが、最後に、<メディアにも談合らしきものが見え>という選外という川柳を一句添えているのが効いていた。

実は私も、オフレコ懇談の曖昧さを見ていて、少し(本当はものすごく)腹が立っていた。だって、オフレコ懇談は役に立つようなことを新聞・テレビのメディアは言っているが、どう見てもそれは排他的な空間での懇談だろう。むしろ、どこまで報道するか、内容をメモ合わせしたりと、とても「談合」によく似ている。

栗田さんの引用した川柳もそういうことを言っているに違いない。政治家に政治献金があれば、メディアには情報リークがある。もちろん、どちらも崇高な目的のために、そうした危ない橋を渡っているのだが、外形的には非常によく似ている。反省と自戒を込めて言うのだが、現在の政治のていたらくぶりは、政治家や政治体制だけが問われているのではなく、メディアの姿勢もまた問われていることは明白ではないか。

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2009/03/08

ジェネラル・ルージュの凱旋

ジェネラル・ルージュの凱旋

中村義洋監督。海堂尊原作。竹内結子。阿部寛。堺雅人。羽田美智子。山本太郎。高嶋政伸。貫地谷しほり。尾美としのり。中林大樹。林泰文。佐野史郎。玉山鉄二。野際陽子。平泉成。國村隼。

東城大学付属病院の窓際医師・田口は「チーム・バチスタ事件」を解決した功績で院内の倫理委員会長になってしまっていた。そんな彼女の元に、“ジェネラル・ルージュ”と呼ばれる救命救急の速水センター長と医療メーカーの癒着を告発する文書が届く。それと時を同じくして告発された医療メーカーの支店長が院内で自殺。田口は院長の命で院内を密かに探ることになる。そこに骨折した厚生労働省の役人・白鳥が運ばれてきて……。

『チーム・バチスタの栄光』に続く、海堂尊原作の“田口・白鳥シリーズ”映画化第2弾。“ジェネラル・ルージュ”(血まみれ将軍)と呼ばれる救命救急センター長・速水にかけられた殺人と収賄の疑惑を、田口と白鳥の凸凹コンビが探っていく。その中で描き出されるのは、社会問題としてもしばしば取り上げられる救命救急の厳しい現状だ。だからといってお堅い映画ではなく、竹内結子の演じる田口と阿部寛の演じる白鳥のやりとりなど、コミカルな演出もふんだんに盛り込まれ、物語のテンポも抜群。そして後半には畳み掛けるようなシビれる展開が待っている。エンターテイメントとして楽しめ、かつ心にメッセージを強く残す傑作医療ミステリーだ。(goo映画より)

第1作の「チーム・バチスタ」よりもグンと面白くなっている。テンポの良さ、緩急のシリアス部分とユーモアのリズムがすこぶる良い。事件自体はなんだか中途半端すぎるが、それ以上に、医療現場の諸相を巧みに描き出している。前作の連続医療殺人の結末が尻すぼみだったのに比べ、最後まで、良い波に乗って盛り上がっていた。

ジェネラル・ルージュの凱旋

厚労省官僚役の阿部寛とダメ精神科医役の竹内結子のコンビ。そのデコボコぶりはとってもいいが、このコンビって、そうだ、「トリック」の日本科学技術大学物理学教授・上田次郎役の阿部寛と、自称天才マジシャン・山田奈緒子役の仲間由紀恵の弥次喜多ぶりを彷彿させ、なんだか二番煎じみたいなのだ。抜けているけど、頼れる兄貴分として阿部寛が見事にはまっているのだな。いいね、大きすぎる阿部ちゃん。

「ジェネラル・ルージュ」の堺雅人。「壁男」なんかを見たときには線の細い役者だなあと思ったが、本作を見ると、線の細さがある種の異能の鋭さを感じさせ、良い演技だなあ、と思ったものだ。

文句なしに、オススメ映画である。

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母を送る

母を送る
母を送る
体力の衰えた白老の母が姉のところに預けられることになり、新千歳空港に見送りにいく。

日ごろの行いがいいのか、快晴だ。

車椅子の母はきちんとした格好はしているが、やはり元気がない。また北海道に戻ってくる日があればいいが。

10時45分のJAL508便が無事離陸するのをレストランで見届ける。

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2009/03/07

また白老に帰る

また白老に帰る
老いた母の調子が悪いので、また実家のある白老に帰る。

母は疲れるのか、寝てばかり。体重も一週間で3キロも痩せたという。

姉が犬を連れてきており、背中をなでたらなついて寝てしまった。

人も犬もよく寝る家である。

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訳わからん新聞記事

最近、ネットが盛んになったこともあるが、新聞記事の生煮えぶりと、その一方のメディアスクラム的な過剰報道には腹が立つ。

たとえば、2009年3月7日の朝日新聞一面。例の「自民党には捜査が及ばない」発言の政府高官。この国策捜査を自白した人物を、民主党が警察官僚トップから内閣官房副長官に入り込んだ漆間巌氏とみて国会追及の方針と書いている。では正体がまだ不明かとおもえば、朝日新聞はその政府高官に取材して「発言は一般論」などとあしらわれているのだ。正体が分かっているなら、真実を伝えるのが、ジャーナリスト宣言の魂だろうが。

本当は分かっている事実を権力に腰が引けて曖昧にしている。その一方で、またぞろ正体不明のニュースソースで小沢一郎や自民党議員に捜査が及ぶようなことを書いている。

訳わからん新聞記事


「模様だ」だの「ようだ」「みられる」の乱発で、推測を既成事実であるかのように錯覚させ、ミスリードさせるのではないか。冤罪は権力と阿吽の呼吸でマスコミがつくってきたのではないか、という良識や冷静な判断はどこに行ったのだ。たまたま愛読する日本を代表する良識紙の朝日新聞を例に挙げたが、これは朝日新聞だけではなく、ほとんどの新聞、テレビ、雑誌に見られる重大な問題だ。

おもえば、この国の政治記者はかずかぎりない誤報と判断ミスをしながら反省をしない。もう何十年も前だが、本当は安倍政権が生まれたはずなのに、土壇場で逆転しちゃって、などと言う人がいた。そうかもしれないが、読者への責任を忘れていないか。もちろん、憶測の捜査情報を流す社会部記者も同じだ。まさか、松本サリン事件を忘れたのではあるまいな。

日本の政治は遅れているなぞとほざくマスコミ人の諸業こそ天に唾する愚論と言うべきだろう。

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2009/03/06

秘書逮捕事件では小沢一郎を支持する

春の嵐というのか。民主党代表で次期総理大臣候補ナンバーワンであった小沢一郎議員の秘書が逮捕された。

本件に関して、私は民主党などというふやけた政党の支持者ではないが、「違法なことはしていない」という小沢一郎氏の主張を支持する。この間、明らかになりつつある状況証拠から、小沢一郎氏が不公正な形で捜査対象になったことは小沢氏の指摘どおりだと思うからだ。

自民党議員多数が関与していながら小沢氏のみがターゲットにされたこと、政府内部の高官から捜査は自民党に及ばないことが明言されていること、もっぱら小沢氏に対してのみ利害関係にある人物が証言していること、などから極めて不自然であると判断する。

政治家がゼネコンなどの企業から意図ある金をもらうことは問題である。それでも、小沢一郎氏のみが犯罪者を使っていた非道の政治家であるというのは正しくないと思う。理想論に依拠して、既得権益を打破し、米国主導の冨の再分配を阻止せんとする政治情況を流産させようとする立場は取らないこととする。民主党が内部の短絡主義者の妄動に振り回されないように期待する。

この事件によって、政治の閉塞感は打開されたか。失点続きの内閣の起死回生策たり得るのか。いずれも否である。なんとも憂鬱になるだけの事態である。

なお、本件については右サイドのお気に入りリストの下方にあるブログを参考にしていただきたい。

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2009/03/05

苫小牧の森さん来た−農民文学賞

「田村はまだか」と言っていたら、森さんが来た。

吉川英治賞の話を書いたが、苫小牧市の作家、森厚さんの「TAKARA」が第52回農民文学賞(日本農民文学会主催)に4日決まったそうだ。

教えてくれたのは童話作家はま・こはま、こと大島宣博さんだ。

「TAKARA」は酪農家の四世代の家族の物語とのことだ。森さんは「苫小牧文学の会」所属であるが、少し昔の話で恐縮であるが、大島さんと私も参加していた「黎」文学会の会員としても活躍されていた。おめでとうございます。

かつて藤堂志津子さんも熊谷政江として参加していた「黎」は亡き井上彪を主宰者として、道内文学界の才能を集めていた。沖藤典子もその一人。同じ会員で十勝管内芽室町在住の鳥井綾子さんは1988年に「坂の向こうに」で第31回農民文学賞を受けており、森さんとの縁もあって、苫小牧文学の会員となっている。文のつながりと人のつながりは不思議である。

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朝倉かすみさんと吉川英治賞

講談社が勧進元になっている「財団法人吉川英治国民文化振興会」による2009年度「吉川英治賞」が、4日発表された。

第30回吉川英治文学新人賞には、道産子・小樽市出身の朝倉かすみさんが「田村はまだか」で選ばれた。おめでたいことである。「田村はまだか」(光文社)はマンガのようなおもしろさでいかにも同賞にふさわしい。

Asakura_2

吉川英治文学新人賞は、これまで北海道からは今野敏「隠蔽捜査」(三笠市、第27回=2006年)、大崎善生「パイロットフィッシュ」(札幌市、第23回=2002年)、宇江佐真理「深川恋物語」(函館市、第21回=2000年)、馳星周「不夜城」(浦河町、第18回=1997年)の4人が受賞している。

また、本賞ともいうべき吉川英治文学賞は、渡辺淳一「遠き落日」「長崎ロシア遊女館」(上砂川町、第14回=1980年)、原田康子「海霧」(釧路市、第37回=2003年)の2人が受賞している。

私も長く生きてきたので、今野敏さんだけには会っていないが、残る作家の方々には一見挨拶に近いものもあるが、何度かお会いしている。馳星周さんには夕張国際映画祭の時にインタビュー、大崎善生さんには将棋の原稿を頼んだこともある。宇江佐真理さん、渡辺淳一さん、原田康子さんは連載小説の担当者をやったものだ。

そうか、すごい人々と働かせていただいたものだ、と「遠い目」になってしまう。朝倉さんは北海道新聞文学賞の会場で会っただけなので、きっと覚えていないだろうな。でも、大衆文学の世界では吉川英治賞は大きな看板だ。どどどどどっ、とこれからの大飛躍が一読者としては楽しみである。

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2009/03/04

「北海道 シネマの風景」出版記念パーティー

「シネマの風景」出版パーティー
北海道を舞台に、あるいは撮影場所にしてつくられた映画76作品にまつわる物語を紹介した「北海道 シネマの風景」(北海道新聞社、本体価格2300円)の出版記念パーティーが3月3日夜、札幌市内のすみれホテルで開かれた。

NPO法人「北の映像ミュージアム推進協議会」の主催だ。参加者は多からず少なからず、そこそこという感じだ。

同協議会の理事長は作家の小檜山博さんだ。冒頭の挨拶では「カサブランカ」やら「駅馬車」などにまつわる話をしていた。久しぶりにお会いしたが元気そうで、柔らかい手で握手された。

このほか北海道文化財団理事長の磯田憲一さんが「鉄道員(ぽっぽや)」にまつわる話をされていた。少し長いが良くまとまってはいた。北海道新聞出版局からは同書がいかに力作であるか強調されていた。

「シネマの風景」出版パーティー


ひげのおじさんが、もう一度見てみたい映画を発表していたが、少し酔いがまわってしまい忘れた。「白痴」と「幸福の黄色いハンカチ」「鉄道員」かなにかだったような気がする。

会場では旧知のジローさんと遭遇。なんだかんだ言いながら、それじゃあ、と久しぶりに南4西4の酒庵「きらく」に流れる。女性ライターさんやら、昔風に言えば押しの強い「総会屋」さん的なおじさんなどと、なんやかんや。にぎやか。

「きらく」では小檜山博さんと2度目の遭遇。「原稿しっかり書けよ」的なことを言われ、またしても熱く握手されてしまった。

ジローさんを残し、おじさんが「もう一軒」というので、付いていったら、アラサーなのかアラフォーなのかよくわからないオネエサンたちが、おじさんと仲良くしている。なんじゃ、こりゃあ、と思いつつ、午前様になる前に支払いを済ませて帰った。

映画の話で言えば、わが北野武監督は沖縄ばっかりで「北野ブルー」の世界を繰り広げているので、北海道を舞台に(テレビで主演した「兄弟」のような)作品を撮ってもらいたいものだ。

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2009/03/01

白老に行く

白老に行く
白老に行く
白老に行く
白老の実家の母親が弱っているので見てこい、と姉から電話があり、白老に行くことにした。

しかし、なにぶん田舎なので都合よく汽車はない。12時22分の函館行きの特急を苫小牧で普通列車に乗り継いで行くことにする。函館行き特急は自由席が二両しかないので、遅れて行ったら満席で立つことになった。なんだかついてない。


13時03分苫小牧着。13時23分苫小牧発。白老には13時49分着となる。

母親はあまり食欲がなく、昔のような元気がない。仕方がないことだ。ただ、頭のほうは明晰だ。汚れた家の中を片づける。まあ、近所の人が来てくれており、少しは安心である。

白老駅で幕の内弁当「白老味の散歩道」を売り出していたので購入する。一個千円。

白老牛の煮込みハンバーグ、虎杖浜産のうす塩たら子、白老産シイタケの甘醤油煮、大根の入った鮭ぐるぐる巻、鮭チャンチャン焼き風、イナキビとチーズを加えたイモ団子。なかなか強力ではないか。

帰路も鈍行と特急の乗り継ぎだ。文句を言っても仕方がないが、またも立たされ坊主である。

樽前山が残雪に映えて美しい。

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「月刊現代」休刊でシンポジウム

「月刊現代」休刊でシンポジウム
3月30日(月)午後6時から東京・千代田区の内幸町ホールで

「月刊現代」休刊とジャーナリズムの未来を考えるシンポジウム

が開かれるそうだ。

第一部は田原総一朗司会で鎌田慧、魚住昭、佐藤優による「いまそこにあるジャーナリズムの危機」、第二部が重松清司会で佐野眞一、高山文彦、青木理、城戸久枝による「ノンフィクションの過去、現在、そして未来」。

冊子代込みで参加費三千円。定員は約200人。関心のある人は名前、電話番号かメールアドレスを書いて、
FAX03-5281-7611
までか、
E-Mail:gendai.symposium@gmail.com
まで事前に申し込みをしてほしいとのこと。

チラシをいただいたので紹介しておく。

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