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2009/01/03

野村義一さんの死

野村義一さんの死
アイヌ民族の権利拡充のために尽力した。

2008年12月28日午前8時30分、肺炎のため登別の病院で死去した。

1914年(大正3年)10月20日、一男二女の長男として白老町にて出生。1936年白老漁業会就職。49年−74年、白老漁協専務理事。55年−83年、白老町議会議員。76年−02年、白老町遺族会会長。

94歳。戒名は永幸院法徳日義居士。通夜は平成20年12月30日午後6時、告別式は31日午前9時から白老斎場で執り行われた。

北海道ウタリ協会理事長(1964−96)。以後、顧問。アイヌ無形文化伝承保存会会長(87−2008)。

84年、中曽根首相の懇談会と皇居赤坂御苑の園遊会に招待される。92年、国連本部で先住民族代表として演説した。

83年白老町町政功労賞。94年北海道開発功労賞。97年勲五等双光旭日章、北海道新聞文化賞。05年アイヌ文化賞。

新聞などでは、アイヌ民族の代表的リーダーとして功績が紹介されているが、葬儀のしおりでは叙勲受章者と町政功労者ということが見出しになっていた。

そうした大局的な部分とは異なる私的感想を言えば、野村義一さんは白老小学校のPTA会長として、私たちの前に現れた。それから、町の政治を主導する町議会議員、しかも、会派は覚えていないが、自民党系政治家であったと思う。

もちろん、その後の社会的活躍に異論はない。だが、労働者の子として権力批判に向けて自己形成をしていた若いころの私には国家権力と野村さんの位相がよく理解できなかった。階級闘争と民族問題はいまだに苦手である。

野村さんの経歴(表彰)の中に、私の想像の及ばない骨太の、しかし葛藤を抱えた人生の一端を知ることができる気がする。合掌。

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