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2008/12/09

「252-生存者あり-」の失敗

252ー生存者ありーの失敗

水田伸生監督・脚本。小森陽一原作・脚本。伊藤英明。内野聖陽。山田孝之。香椎由宇。木村祐一。

すでに、「252」については触れているが、あらためて同作の何が問題であったかを明らかにしておこう。

ここでは、設定とドラマツルギーの2点を指摘しておきたい。

まず、巨大台風が首都・東京を襲う。すでに、湾岸エリア、フジテレビは崩壊してお笑い番組や「海猿」「大捜査線」どころではない。湾岸が水没しているということは、首都機能が麻痺しているということだ。おそらく銀座には雹が降り、新橋も水浸しだ、となりの虎ノ門はまさに官庁街であり、国会や首相官邸といった政府機能の足下である。

「252」では新橋駅災害で活躍するのは東京消防庁のハイパーレスキューである。だが、首都機能が麻痺しているのに、自衛隊どころか警察もでてこない。出てくるのは気象庁の現場役人だけである。そんなことがあるだろうか。

常識的には内閣に危機管理対策の専門チームが発足して、自衛隊と警察、消防、海上保安庁など、すべての防衛・警察・消防組織が総理大臣の指揮のもと、日本水没と戦っているはずである。少なくとも、ゴジラ映画でも、なんでもそうなるはずである。

国家の一大事に、消防と気象庁の予報課あたりでは、どうにもならんはず。そこが、リアリティがないということだ。

次に、ドラマツルギーだ。この映画は「生存者あり」の題名そのままで、「ポセイドン・アドベンチャー」でも「タワーリング・インフェルノ」でもなんでもいいが、この種のパニック映画の基本である「悲しみを乗り越えて再生していく(死と再生)」のテーマ性が極めて弱い。

こういっては悪いが、学芸会じゃあるまいし、みんな助かってどうすんの、ということだ。必ず犠牲がつきものだ。それも主役級に! それは世界中の物語の原則ではなかろうか。

ところが、「252」ではみんな助かる。もちろん、無名の多くの人たちが死ぬが、それは、単なる背景画でしかない。主役級が死なないと、災害の意味は浮き彫りにならないのだ。

この際、マイノリティーと子どもは犠牲者から除外される。だから、韓国の女性と女の子は助からなければならない。とすれば、主人公か、その兄、もしくは異端分子が反抗しつつも善行をなして、人間の美しさを見いだして死んでいかねばならない。それが感動ドラマというものだろう。おちこぼれ医師もだれもぎりぎりのところまで追いつめられないから、ハッピーエンドの感動は単なる失笑に終わってしまうのだ。

残念なことである。

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コメント

はじめまして、frankと申します。
先日この映画を見てきました。
正直、悪い評価を映画を見る前に見てしまったので、先入観が先にたってしまったのですが、見ながら所々突っ込んでしまう自分がいました。
視点を変えれば、いい映画ですが、見方によっては偏った映画だなぁと思いました。
ただ、伊藤英明は格好よかったです。

投稿: frank | 2008/12/12 00:22

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