« 市民ケーン | トップページ | 21歳の新鋭作家、そして官能小説家が… »

2008/11/25

三島由紀夫の命日に思う

忘れていたが、きょうは三島由紀夫の命日、右翼的に言えば「憂国忌」である。

1970年11月25日、三島由紀夫は楯の会の同志諸君と、東京・市ヶ谷の自衛隊に押し入り、隊員を前にバルコニーから、国軍たる自衛隊の武装決起を呼びかけた。しかし、自衛隊員からは嘲笑を浴びるだけで、その志は通じず、配下の隊員に介錯を頼み、切腹、自死した。

そうか。あれから38年か。と、遠い目になる。

ちょうど、1日前の70年11月24日。自分は大好きだった「Yさん」と北大生協2階の喫茶店でデートしていた。それは初めてのことだった。僕はYさんに世の中のことをどう思うか、聞いていた。政治はどうなのか、社会はどうなるのか、など。そりゃあ、デートには不向きな話だわな。

結局、振られるわけだが、その時、自分は三島由紀夫のことを少し話した。自分はニーチェや三島由紀夫に影響されてきた。だが、三島的な生き方や思想は早晩だめになる。限界だろうというようなことを述べた。そして、自分の中には吉本隆明の自立思想というものに強い関心が生まれている。三島やニーチェの強者の論理ではなく、社会を必死で生きている大衆の可能性を思想的に追求していくのだ、などと話していた。大人のYさんは、つまりは自分などを相手にしておらず、「あなたはあなたの道を行けばいいわ」と言ったように思う。

そして、そんなことを話した翌日、三島は自衛隊クーデターを目論見、自害するのである。自分の暗い予感は1日をおかず、実現していた。ショックだった。あえて後日談を語れば、Yさんとはその後、音信不通となる。他大学に移ったとも、某過激派集団の中に姿を見たという噂も聞くが、真相は不明である。一方の自分はその後、いくつかの彷徨が続くが、吉本主義者として今日まで基本的には変わっていない。

もし、三島やニーチェ的な強者の論理へ没入していれば、自分は違った道を歩んでいただろうと思う。三島の「文化防衛論」などをもう読むことはないが、文学と政治の不思議な魅惑がなかったと言ったら嘘になる。

人は「寸前」のところで、違う道を歩む。尊大な言い方かも知れないが、それは偶然ではなく必然である。自分が三島や右翼のほうに行かなかったのは、自分の中の大衆的なものが少なくとも戦後的な価値の中にあったからだと思っている。その意味で、自分は戦後社会に批判的であるが、それでも戦後的価値を最高の部分で承継したいと考えている。そのことは、いささかも揺らいではいない、と対岸にある憂国忌の日に確認しておきたい。

ちなみに、11月25日は吉本隆明の84回目の誕生日である。

|
|

« 市民ケーン | トップページ | 21歳の新鋭作家、そして官能小説家が… »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87302/43220964

この記事へのトラックバック一覧です: 三島由紀夫の命日に思う:

« 市民ケーン | トップページ | 21歳の新鋭作家、そして官能小説家が… »