迷子の警察音楽隊

本作はイスラエルで起きたエジプトからの珍客との1日の交流物語である。テーマはすれ違い。もちろん、否定的な意味ばかりではなく、政治や文化、言葉、年齢、性の違いによって導かれるものであるが故に、それは決して和解不可能なギャップではないと信じているところに、救いが生まれている。
イスラエル=フランス合作。エラン・コリリン監督。サッソン・ガーベイ。ロニ・エルカベッソ。サーレフ・バクリ。カリファ・ナトゥール。
1990年代のイスラエル。空港に水色の制服に身を包んだ男たちが降り立った。彼らはアレクサンドリア警察音楽隊。文化交流のためにエジプトからやってきたが、何かの手違いか出迎えが来ない。自力で目的地へたどり着こうとした彼らは、間違えて一文字違いの別の小さな町に着いてしまう。途方にくれる彼らに助け舟を出したのは、カフェの女主人ディナだった。やがて、国や宗教を超えた交流が始まるが…。(goo映画より)
テーマに沿えば、警察音楽隊の団長トゥフィークとイスラエルの田舎町の食堂の女主人ディナの心のすれ違いがメーンである。
3年前に妻を亡くした(それは子どもの心を理解できなかったが故に、子と妻を失ったのであった)トゥフィークは、自分の信念で生きているが必ずしも皆に理解されていない。そんな彼が団員を引き連れて道に迷ってしまうわけだ。そこに現れたのが、美しいのだけれど、運がないディナ。彼女は珍客に自分と同じものを見いだし、ランチをごちそうし、一夜の宿を提供する。子どものころに見たエジプト映画、アラビアンナイトをトゥフィークと夢見るが、結局はトゥフィークは自分に設けた壁を乗り越えられず、2人の恋は実らぬままに終わる。でも、2人は好きあっており、決して理解しあっていないわけではない。それでも叶わないのである。
この2人の関係を反復するように、周辺で人物が動く。トゥフィークと色男カーレドの世代間のモラルのギャップ。そのカーレドとディナの心とは無関係の体だけのセックス。トゥフィークと悩める楽隊ナンバー2シモンの信頼と迷い…。イスラエル人の親子、夫婦、恋人たちの関係も同じだ。誤解があり、対立があり、信頼がある。
イスラエル映画であるから、エジプトの警察音楽隊の役者さんたちもアラビア語を使ってもイスラエルで活躍している人たちのようだ。イスラエルではエジプト映画が人気だったというが、戦後の建国以来、中東戦争で対立しているのだが、どこかでつながっているというのが面白い。砂漠の中に、いかにも国防的な観点からか高速道路が整備され、疑似社会主義的なアパート群やレストランのある協同アミューズセンターみたいなのが存在している。街は活気がなく、失業者が食堂のいすに腰掛けており、そして大都市への脱出を夢見ているのも面白い。イスラエル映画でありながら、映画の批評眼というものは常に両義的に機能するものだ。
冒頭のバスが止まっていて、それが全く関係なく去ったら、青い制服の音楽隊が登場する。いかにも取り残された印象が浮かんできて、つかみはOKだろう。その後、小さなコント(清掃員に邪魔される記念撮影、市役所への通じない電話、石のように固まるイスラエルのおじさんなど)が積み重なっていく。これもいい。2つの国旗が揺れる中、最後にエジプト音楽が流れる。誤解やすれ違いは終わらないけれど、またこんなシーンがきっと来るさ。そのときにはトゥフィークとディナが手を差し出したら、きっと自然につなぐだろうよ。そんな希望の色が伝わった作品である。
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