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2008/02/14

祭りのあと

祭りのあと
さっぽろ雪まつりが11日で終わり、会場跡の大通公園では氷雪像や基礎の雪塊の撤去作業が続いています。
なんだか寂しいですね。思わず、吉田拓郎・作曲、岡本まさみ・作詞の「祭りのあと」を口ずさむのはオヤジのさがん・とすですね。

祭りのあとの淋しさは
死んだ女にくれてやろう

祭りといえば、日本3大奇祭の一つ、東北は岩手の蘇民祭も13日に終わりました。

観光案内によると、天台宗妙見山黒石寺で夜を徹して行われる裸の男と炎の祭りです。裸で押し合いながら蘇民袋を奪い合う。蘇民袋は護符が入った麻袋で、これを最後につかんだ者の住む方角がその年、豊穰多福になると伝えられている、そうです。

なぜか。

妙見山黒石寺のHPによると、蘇民祭信仰とは『備後(びんご)風土記』の中に蘇民信仰の逸文が残されている。
北海の武搭神(たけあきのかみ)が南海の神の娘をめとろうと旅に出、途中で日が暮れた。そこに将来兄弟二人が住んでいた。兄の蘇民(そみん)将来は大変貧しく、弟の巨旦(こたん)将来は裕福で家や倉を百余りも持っていた。武搭神は弟に一夜の宿を借りようとしたが断られ、やむなく兄の家に泊めてもらった。兄は粟の飯でもてなした。後に武搭神は八人の王子と帰る途中将来の所に寄り「かつての報いをしよう。おまえの子孫がその家にいるか」と問うと、「妻と娘がいる」と答えた。すると「茅(ち)の輪(わ)」を腰に着けることを命じた。その夜、神は蘇民の妻、娘を除いてすべてを滅ぼしてしまった。そして「私は須佐之男命(すさのおのみこと)なり、後の世に疫病あらば蘇民将来の子孫といい、腰に茅の輪をつける者は疫を免れるであろう」と申された。
武搭神・須佐之男命・牛頭天・薬師如来は同一神仏であるという。−とある。

すごい話ですね。ほとんど黙示録の世界じゃありませんか。ユダヤ教の過ぎ越しの祭りか。神様が暴れて、地上の悪をすべて焼き尽くす。それでも、茅の輪をつけた者の一族だけが生き残って世界を拓く。その生き残りをかけた壮絶な戦いこそ、蘇民祭なのです。未来を奪うのはだれか?

それなのに、胸毛がどうの、セクハラだの、公然わいせつだの。名前を出さないが、レベルが低すぎるぞ。こうした民間信仰を批判するなら、それはそれで許せるが、枝葉末節でユートピアを引き寄せようとする薬師信仰を矮小化する公権力はいつだって反革命である。と、きっと言うな、昔のワシなら。

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